突然、小さな影が眼下から飛び出した。
一直線にサクラの木に向かって走る。
ゴブリンだ、間違いない。
チナミが呪文を唱えながら杖を振った。
好成績のおかげで、サキから買うことを許された新しい杖だ。
以前から使いたかった魔術の印が刻んである。
振り切ったと同時に、稲光が走った。
が、雷はゴブリンにではなく、サクラの木に落ちた。
いきなり目の前の木が燃え上がり、ゴブリンが硬直する。
「ちょっと、なんでここで雷の呪文!?」
そう言いながらミヤビは手摺に足をかけた。
「だってぇ…せっかくだから、使いたかったんだもん」
「消して、早く!」
氷の印が刻まれた杖を探すチナミを残し
ミヤビはバルコニーから飛び降りた。
炎に包まれた木を呆然と見つめるゴブリンに向かって駆ける。
昆を突き出すが、寸前に気づかれ避けられる。
側頭部を昆がかすめ、ゴブリンの体毛が宙を舞った。
だがミヤビは慌てない。
次の一手で確実に仕留められる。
が、昆を突こうとした瞬間、背中に
焼けるような痛みが走った。
なにが起こったのかわからないまま
その場に倒れこんだ。
「ちょっと、ミヤじゃま!」
振り返るとバルコニーの上からチナミが
そこをどけという風に手を振っていた。
彼女が放ったブリザードが、ミヤビの背中を直撃したのだ。
「チィのバカ! ウチのこと殺す気!?」
魔力が強いせいもあって、チナミのブリザードは
冷たいというより痛い。
むしろ熱いと感じるほどだ。
背中をさすりながらミヤビはうめき声を上げた。
だが、いつまでもジッとしてられない。
小さな後姿が遠ざかる。
ミヤビは渾身の力を込め立ち上がった。
ゴブリンは屋敷の裏へと向かっていた。
裏通りは坂道になっており侵入は
登りきったところからでなければできないが
敷地内からみた塀の高さは均一で
どこからでも脱出可能だ。
ゴブリンが塀に向かって跳躍する。
ミヤビはとっさに昆を投げつけた。
当たりこそしなかったが、頭上を通過する昆に驚き
ゴブリンは塀を飛び越えることができず、方向を変えた。
屋敷の裏まで回ったところで飛び込んできた光景に
ミヤビは自分の目を疑った。思わずヤバイと呟く。
炎に照らされた裏門の扉が、開いていたのだ。
塀にぶつかって転がった昆を掴む。
裏門を今まさにくぐろうとするゴブリンに投げつける。
が、昆はゴブリンまで到達せず
なぜか空に跳ね返ってミヤビの額を直撃した。
「キャー! なにこれ」
痛がっている暇はない、ゴブリンを追わねば。
ミヤビは駆け出した。
だがなにかにぶつかり尻餅をつく。
自分のいる場所、それは罠の中だった。
「キー、キーどこ!?」
空を見上げ月を探すが、塀か屋敷の陰になっているのか
どこにも見当たらない。
松明など灯りに照らされてもできることを思い出し
燃え上がるサクラの木の方向に向かって駆けた。
「あった!」
指をキーに添えたとたん、辺りは闇に包まれた。
キーが消滅し、境界線を越えようとしていたミヤビは
またも頭をぶつけその場に倒れた。
「ミヤー! 火ィ消えたよぉ!!」
バルコニーからチナミが手を振っていた。
その能天気な声に、ミヤビは舌打ちした。
身体のあちこちが痛い。今日はなんて日だ。
ゴブリンが逃げていった方に目をやる。
もう今からでは追いつかないだろう。
闇の中で門扉が軋んだ音を立てながら揺れた。
その4 その6