翌朝、ふたりは空が白み始めるのと同時に宿を出た。
朝食の料金はすでに支払ってあったのだが
用意が整うまで待つ余裕がない。
代わりに前日分の余った食料を包んでもらい
旅路の糧とする。
「リサコ違う、こっちぃ!」
街道沿いに進もうとするリサコの袖をチナミが引いた。
普通に歩けば三日かかる道中も
山中を突っ切れば一昼夜で済むのだと言う。
もうこれ以上、出費は許されない。
少しでも早く戻らなければならないのだ。
「えっ、大丈夫?」
「平気! とにかく、西に歩いてけば着くから。ウチに任せて!」
そうは言うもの、昨夜の雨は止んだが
依然空には厚い雲が垂れ込めている。
正確に方向がわかるか、リサコは不安になった。
が、昼過ぎには太陽が出るから大丈夫とチナミは主張した。
「ホント?」
「うん、ホント!」
「迷ったりしない?」
「しないって、絶対!!」
なんの根拠があるのか、やけに自信ありげなチナミに言いくるめられ
リサコは生い茂った山に分け入った。
道なき道を進み、時には崖を登り川を渡る。
そうして一日中歩き回ったが
ついに太陽が出ることなく日暮れを迎えた。
「ねえ、合ってる?」
不安そうにリサコが尋ねると、チナミは「大丈夫」と
自分に言い聞かせるように呟いた。
太陽が出ていなくても、枝の伸びる方向や切り株を見れば
方角がわかるのだと言う。
「ほら、これ見て」朽ちた切り株を見つけ、チナミは駆け寄り指差した。
「えっと、年輪の狭い方が北でしょ。だからね、西はあっち!」
そう言ってチナミは自分たちがやって来た方向に、人差し指を向けた。
「あれ?」
どうやらふたりは、完全に迷ってしまったようだ。
ふたりは左手の上に光の玉を
右手で杖を突きながら深夜の森を進んだ。
途中、突然降り出した雨を避けるため
洞窟で休んだ以外は、ずっと歩きづめだ。
今はその雨も上がり、雲も晴れて星空が広がっている。
星座から方角を知る方法は、リサコでも知っている。
これで方角を間違えることはなくなったが
現在地がわからないため、西に向かって行けば
本当に我が町にたどり着くのか非常に怪しい。
「ねえ、ちょっと休もうよぉ」
「もうちょっと、もうちょっと行ったら町が見えるから」
本来なら尾根を伝って山みっつを越えれば
町が眼下に広がるはずなのだが
さっきから登ったり降ったりを繰り返すばかりで
頂上にすら着かない。
同じ作業でも終着点が見えているのと見えないのでは疲労度がまるで違う。
むろん、後者のほうが大きいに決まっている。
リサコの口からは、ため息しか出なかった。
昨夜の雨のせいで足元はぬかるみ歩きにくい。
その上、左は急斜面になっていて、光も届かず闇に沈んでいる。
足を滑らせたら、どうなるかわからない。
「リサコ、ここ滑るから気をつけて。
転んだらあぶなああぁぁっ!!!」
叫び声と共にリサコの視界からチナミの姿が消えた。
彼女が担いでいた、杖が二本突き出た袋が宙を舞う。
両手を交差させ、リサコは慌ててそれを受け止めた。
「チィーイ!」
リサコは大声を上げた。
光の玉を斜面に向けるが、先はまったく見えない。
助けに行かなければと思うのだが、足がすくんで動かない。
「チィーちゃーん!!」
もう一度、名を呼ぶ。が闇夜に吸い込まれ返事が返ってくることはなかった。
どうすることもできず佇むリサコだったが
もう一度チナミの名を叫ぼうと大きく息を吸ったとき
どこからか声が聞こえたような気がした。
が、それは崖下からではないことは確かだった。
「痛ぁい」とくぐもった声がする。どこからだろうと辺りを見回す。
ふと、足元が明るいような気がして視線を向けた。
地面が淡い光を放っていた。かがんでよく見ると、それは穴だった。
ひとまたぎで渡れるような小さな穴で、中から青白い光が差している。
チナミが持っていた、光の玉に違いない。
「チィー!!」
穴に向かって叫ぶと反響し語尾が何度も繰り返された。
しばらく待っていると、リサコの名を呼ぶ悲痛な声が返ってきた。
「足、挫いたぁー!」
今にも泣き出しそうな声だったが、どうやら大怪我はしていないらしい。
リサコは胸をなでおろした。
「リサコォー、ウチの袋にさぁー! 縄、入ってんでしょぉー!」
穴から叫び声がした。ちょっと待ってと答えリサコはチナミの袋を探った。
長い縄を見つけ、穴に向かってあったよと答える。
「そぉれ、木に、結んで、こっちに垂らしてぇー」
わかったと伝えると、リサコは周辺で一番太い幹に縄を巻きつけた。
そして穴の中へと垂らす。
「届いたぁ?」
リサコは穴に向かってそう尋ねたが、返事がない。
なんだか光も弱くなったような気がし、穴の中を覗きこむ。
するとチナミの声が返ってきた。
「うわぁ、すっごく綺麗!」
なにか見つけたのだろうか。リサコは手にした光の玉の穴の中に入れた。
すぐ下に、突起した岩が見える。
底はまだ深いが、あそこまでなら降りれるように思う。
リサコは振り返り縄を結わいだ幹に目をやった。
ゆっくりと縄を引く。確かな手ごたえを感じ
今度は全体重をかけ思いっきり引いた。
縄がほどける様子はない。
もう一度、穴の中を覗き込み、光の玉を地面に置くと
縄をしっかりと掴んで、穴の中へ身体を滑り込ませた。
岩の上に降り立つが、穴は狭く深いため中の様子は見えない。
その下は斜面になっていて、底がぼんやりと光っている。
チナミはここを滑り落ちたため、大怪我を負わずにすんだようである。
急勾配だが、縄を使えばなんとか昇り降りできそうだ。
リサコはひとつ唾を飲みこみ、慎重に足を下ろした。
両足を踏ん張りズルズルと滑りながら斜面を降りる。
勾配はどんどんきつくなり、最後にはほぼ垂直になった。
が、すぐそこに岩肌の地面が見える。リサコは思い切って縄を放した。
「痛て!」
優雅に着地したつもりだったが、よろけて壁面に頭をぶつける。
痛みに顔をしかめ、患部をさすりながら辺りを見回した。