ここ数年、私は自分が死ぬ日について考えてる。
いろいろ考えて
私は9月30日に死にたいと考えてる。
北国産まれならではの考えかもしれない。と思う。
北海道の、一番の豪雪地帯に産まれ、育ったせいで、私はとにかく夏が死ぬほど好き。
そして
―――冬が嫌い。
一年に、数日しか雪が降らない関東地方だったら、雪って、ロマンチックですてきなものだと思う。
その気持ちはすごくわかる。
確かに雪ってすてき。
一夜にして、日常を、別世界に変える。ファンタジーだと思う。
でも、それが毎日だったら。
私の地域は、雪景色が、11月~3月末まで続く。
もう、一年の半分が冬、と言っていいと思う。
つまり、人生の半分が、冬。
ひたすら長すぎ。
毎日凍てつく寒さ。(人生の半分は寒さ対策、光熱費とのせめぎあい)
毎日、道はぬかってずぼずぼ、ざっくざっく、歩きづらい、
もしくはツルツルで転びまくり。
スタスタ歩ける事がない。春まで、まったくない。(人生の半分も歩行に苦労している)
日々、雪掻きに追われる毎日。すっごい肉体労働。でもぜったいにやらなくてはいけない。
生活に支障をきたすから。(人生の半分を除雪についやしてる)
車を出せば 事故と隣り合わせ。毎日。(人生の半分死と隣り合わせ)
そしてどこまでも、景色は白一色。(人生の半分も、白しかない景色を見ている)
で、毎年思う。
冬に死にたくないよな。 と。
すっかり見飽きた、白い景色みて死にたくない。
やっぱ夏がいい。
ジリジリとてりつける太陽を感じて死にたい。
とにかく冬を感じさせる季節は嫌。
で、ここ数年思うのは
『死ぬなら、9月30日がいいな』という、結論。
大好きな夏を存分に味わった後。まだちょっぴり残暑もあって
まだ紅葉も始まってない時期。
「ああ、今年も夏を味わった……冬が来る前に死ねる、ラッキー」
と、満足してにっこにこで永眠できるのではないだろうか。
――もしもこれが10月に入ったとしたら。
「あ、10月だなぁ……雪が来る前に死のう。…………あれっ 来月誕生日じゃん。じゃ、11月21日まで生きよう」となるのではないか。
そりゃ冬は嫌いだけど、○歳まで生きた、という区切りにこだわるのが人情ではないだろか。
――で、誕生日が来たら。どうだろう。
「ああ、頑張って21日まで生きた。もう悔いはない…… でもまって。そりゃ冬は嫌いだけど、でもあれ?ここまで来たら新年向かえたいなあ…」となるではないか?
2016年まで生きた、という功績を残したい… と。
さてさて、いろんな危篤状態を脱し、根性で、やっと新年を迎えた。
でもその時には私は思うのだ。多分、必ず、きっと。
「念願の新年迎えたし。死ぬか。 でもやだ!! ここまで来たら、真冬のど真ん中で死ぬのは嫌だ。雪のない世界を見たい。土とか、アスファルトが見たい!!」
で、頑張って生きちゃうでしょ。
で、念願の春が来て、アスファルトをみて、私思うの。多分。
絶対。
「やったーーー!!待ちに待った春だーーーー!!もう悔いはない。死ねる… でも ちょっと待っただーーーーー、ここまで頑張ったなら、死ぬ前にあと一回、夏を感じたい!!」
エンドレス。
私、9月30日を逃すと、200歳までも生きちゃうの。
雪国って、まじたいへん。