別のブログでかいたのですが、こちらにも掲載します

今から20年ほど前に、国際青年年の協賛事業で、「北緯40度を見てやろう・歩いてやろう」という事業を企画して実行したことがありました。
これは秋田を出発して、岩手の宮古浄土が浜まで250kmを歩くというイベントです。
参加者は、総勢10名
小学5年生から高校3年生まで
高校3年生は、野球部が甲子園出場をかけた決勝で負けてしまい、頭が空っぽになってしまった某高校の応援団長と、当時発売したてのソアラを乗り回していた、女の子を探しに来たというとんでもない奴。
残念ながら、女の子は小学5年生だけでしたので・・・残念
高校3年生2名は、ずっと一番後ろをぶらぶらと歩くのみ
たまにちょっととろそうな中学生をからかっていました

歩き始めて4日目に、僕がサッカーの東北大会で抜けなければならなくなったとき、そのことを参加者に伝えたら、いままで半分ふてくされたように歩いていた高校3年生二人が、
「心配するなよ。俺らが何とかしてやるよ」
と一言。心の中で
「オメーらが、一番心配なんだよ」
と心に呟きながらスタッフに後を託して2日間抜けて3日目のお昼、一番の難関区界の峠で彼らに合流しました。

僕の乗ったバスは彼らを追い越して、その先で彼らの到着を待っていたのですが、そのとき見た光景は、高校生2名が一番後ろでサポートして、列をきちんと整え歩く姿
みんなの様子は、10人がまるで仲の良い兄弟のように見えたのです。
顔は、僕がいたときよりもずっと明るく見えました。
僕の入る隙間が無いようにさえ見えたのです
その後彼らは、僕が何もいわなくても率先して行動して、歩くのがつらそうなスタッフの短大生にも気を遣って励まし続けてくれて、ついに歩き始めて1週間、ゴールまでの250kmを全員完歩しました。

ここで問題です。TVの取材も来ていたのですが、ゴールにたどり着いてのみんなの行動は
①歓声を上げて海に飛び込む
②みんなで握手をしてスタッフを海に投げ込む
③波打ち際で全員座ってボーっとする

答えは3番。人間、大きい感動があると魂が抜けたようになるみたいです。

その夜、みんなの寄せ書きの入ったペナントを歩いた記念で手渡したときに、みんな泣いていました
あの高校3年生も、
「最初はこんなガキとなんで歩かなきゃいけないんだろうと思っていた。けどリーダーが抜けたとき、俺らが何とかしなきゃ。絶対歩かせてやろうと思った。リーダーが帰ってきたときは本当にほっとした。最初はすぐにやめてやろうと思ったけど、今は参加して本当に良かったと思っている。一緒に歩いたこいつら、最高だよ」
と涙声で話してくれました。

そのとき、自覚なんて上に指導者やリーダーがいたら芽生えるもんじゃないんだ。

目標を持って自分がやらなければという危機感、達成しようとする意思。

そして、下から頼られているという認識によって生まれるんだ。

そのことに気づかされました。

トップダウンでは、自覚や責任感は生まれづらいと思います
いじめも、上に監視する人間がいても駄目。

目標を持つこと。自分が助けてやらなければならない存在を意識すれば、よくなるのでは。

サッカーでも上級生が、下級生を指導するなんてものじゃなく、もっと年齢が離れた年下の子供のほうが良いと思います。

自分が世話をしてやらなければという自覚が生まれるくらいの年齢差の子供

そういう体験が子供を伸ばすんじゃないかな。

言葉ではちょっと表現できないのですが、ぼくは、そんな感覚を持っています