羽生選手の芸術的表現 | 瑠璃茉莉 ~羽生選手と仲間たち
    黒猫大好きなブロガー(?)さんの紹介

     

    2017/09/06

     

    「03年以降の新採点方式は得点要素がより細分化され、曖昧だった部分がほぼ数値化された。『昔のフィギュアスケートは技術と芸術表現、2つの面があったが、今はそれに得点という新たな面が加わった。スケーターは得点を得るために動くことになる』。羽生らトップ選手は『みなクリエーティブ能力を持っているのに、それを出すのが難しい』と同情した。

     それでも最終的に勝敗を分けるのは、演技そのものだという。バトン氏は『演技に、いのちを吹き込め』と語る。いくら点数で測っても、勝つのは「人をひきつける演技」だと力説した。」
     

     

     

    《抜粋》

    既に何度も繰り返していますが、羽生選手の場合には大丈夫です。芸術的表現の本質を射抜いているような演技ですから、どう採点法が変わろうと、目立つ技術的なミスをしなければ、低い点のつけようがありません。

    音楽の雰囲気に合わせて、前後のステップまで含めていかようにでも跳べる4回転ジャンプや、まるで生き物のように変幻するスピン、音の一つ一つに合わせて震え、揺れる心のように、絶え間なく変幻しながらプログラムを綴っていく複雑なステップなどの高度なスケート技術が、そのまま芸術表現となり、技術と表現の両面で得点源になっている。

    だから、得点を高める努力が、そのまま芸術性を高めることに繋がる。彼の演技は、音楽の表現しているものを深く感じることのできる人ほど、あるいは、およそ表現芸術というものは何かということを心得ている人ほど、高く評価するでしょう。

     

     

    《抜粋》

     


    羽生選手のスケートの演技の最大の強みは、すべての表現が、センス良く磨き抜かれた確かな技術の上に成り立っていること。

    芸術の世界でも同じです。そういうタイプの人は、いったん表現が開花し始めると、急速に様々なジャンル様式を取り込んで、どんなジャンルでも、思いがけない姿を見せてくれる。


    技術が緻密に磨き抜かれているから、その上に立つ表現も、滅多なことでは崩れません。

    観客は、ただただ、羽生選手が心身ともに好調で、テレビやCMなどの儲け主義に煩わされず、自分の目指すところを信じていい精進を積んで、その成果を披露してくれることを祈っていればいいのです。

     

    全文はErika Sonoさんのところで

     

     

    バトン氏、連覇狙う羽生に「演技にいのち吹き込め」

    https://www.nikkansports.com/sports/column/figurekoi/news/1883605.html

     

    <羽生五輪連覇への提言(2)>

     

     羽生結弦(22=ANA)と男子シングルで五輪連覇を達成した伝説のスケーター、ディック・バトン氏(88)は10代で五輪金メダルを獲得した共通項がある。同時にループジャンプの開拓者という点も重なる

     

    バトン氏は48年サンモリッツ五輪でダブルアクセル(2回転半)を、52年オスロ五輪で世界初の3回転ジャンプとなるループに成功した。たえずジャンプの新技やコンビネーションに挑んだのは「目の前に、やるべきこととしてあったから」。挑戦を重ね、ジャンプの礎を作った。

     羽生も男子フィギュア界の新たな「4回転時代」をけん引する。きっかけは15~16年シーズン。ショートプログラム(SP)で4回転を2本、フリーで3本、計5本を入れた各プログラムで世界最高点をマークした。翌16年秋には、世界で初めて4回転ループに成功。17年4月の世界選手権ではフリーで4回転4本をそろえ、世界最高点を更新した。自身も技術の開拓者だったバトン氏は、羽生を「細身で、お尻が小さいからジャンプに有利」と分析。4回転ジャンプも「かっこいい」と評する。

     羽生が4回転ジャンプの種類、本数を増やすたびに、他の選手も負けじと対抗。こうして、フィギュアスケート史上、最も高難度のジャンプで争われる時代となった。ただ、著しい進化はバトン氏の想像を超えていた。今の男子の4回転時代について「過剰。やりすぎ」と警鐘を鳴らす。「フィギュアスケートは、あくまで演技(パフォーマンス)なんだ」。引退後も半世紀、解説者として競技を見つめてきた目からは、やる方も見る方も「息をする間がない」ぐらい緊張を強いられると感じる。

     

     03年以降の新採点方式は得点要素がより細分化され、曖昧だった部分がほぼ数値化された。「昔のフィギュアスケートは技術と芸術表現、2つの面があったが、今はそれに得点という新たな面が加わった。スケーターは得点を得るために動くことになる」。羽生らトップ選手は「みなクリエーティブ能力を持っているのに、それを出すのが難しい」と同情した。

     それでも最終的に勝敗を分けるのは、演技そのものだという。バトン氏は「演技に、いのちを吹き込め」と語る。いくら点数で測っても、勝つのは「人をひきつける演技」だと力説した。(つづく)【高場泉穂】

     

     

    五輪舞台「シアター」にしてこそ新たな歴史生まれる

    https://www.nikkansports.com/sports/column/figurekoi/news/1884044.html

     

     

    <羽生五輪連覇への提言(3)>

     

     14年ソチ五輪。米テレビ局の名物解説者として、ディック・バトン氏(88=米国)は、羽生結弦(22=ANA)のショートプログラム(SP)を絶賛した。「ただただ、息をのむほどに美しかった」。SP「パリの散歩道」は2年がかりで作り上げた最高の演技だった。ジャンプを含む要素はほぼ完璧。ブルースギターに合わせて色気のある男性を演じ、観衆を魅了した。

     

     人を引き込む演技とはどういうものか。造園家でもあるバトン氏は、庭と競技を比較し「空間にどう人を招き入れるかという部分で共通している」と語る。庭に見どころがあるように、「スケーターは、何万人もの観客が入る会場で視点を集めなくてはならない」。

     女子の演技を例に挙げて説明した。1人は02年ソルトレークシティー五輪銀、06年トリノ五輪銅のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。「ほっぺの赤い彼女は、まずはなをかみ、衣装を整え、水を飲む。うつむきながら滑って、スタート位置で作り笑いするんだ」。もう1人は84年サラエボ、88年カルガリー五輪連覇のカタリナ・ビット(ドイツ)。「彼女は氷の上に出た瞬間から、全ての観客の目が自分に向いていることを知っていた。結い上げた髪に軽く手をあて、コーチの助言を軽く聞き流し、軽やかに滑り出した」。バトン氏が望むのは、無邪気なスルツカヤの姿ではなく、女優然としたビットのふるまいだ。「フィギュアスケートはシアターであるべきだ」。

     

     伝説の演技がある。84年サラエボ五輪アイスダンス金メダル、トービル、ディーン組(英国)の「ボレロ」だ。それまでは明るい曲を使うのが主流だったが、彼らは単調なクラシック曲に合わせ、男女の悲恋を演じた。最後は氷に突っ伏し、死を表現。すべてが革新的だった。バトン氏はこの演技を象徴的な出来事の1つに挙げる。「スケーターは人を楽しませ、励まし、高揚させることが出来る。私が興味があるのは、素晴らしい動きそのものだ」。

     羽生は、SP、フリーともに過去3季で最も自分に合った曲を再び滑る。バトン氏が「今のトップ選手はみなクリエーティブであるのに、点を稼ぐことにとらわれ、そうあることが難しい」と指摘する点は、羽生も感じているのだろう。再演を決めたのは「心地よく、余計なことを考えずにいられる」からだった。4年前の「パリの散歩道」のように、再び五輪の舞台を「シアター」に出来た時、新たな歴史が刻まれる。(この項おわり)