『Olympic Champion Hanyu keeps up the challenge』
http://www.goldenskate.com/2014/12/yuzuru-hanyu/ 元記事
Golden Skatesのタチアナ・フレイドさんの記事を
たらさんが翻訳してくださいました。
「五輪チャンピオン・羽生は挑戦を続ける」
日本の羽生結弦は昨シーズン、わずか19歳にして五輪金メダルとワールドタイトルを手にして、フィギュアスケートの頂点に到達した。だが、彼の新シーズンのはじまりは、ここまで決してたやすいものではなかった。
先月はじめに行われた中国杯で、全日本選手権2連覇中の羽生は、フリーの6分間練習中に中国のハン・ヤンと衝突した。この事故は世界中で大きく報道され、アスリートの安全についての議論を巻き起こした。
その瞬間、羽生もハン・ヤンも後ろ向きに滑走しており、お互いが見えなかったという。
「まず膝がぶつかったんだと思います」そのときのことを、羽生はそう振り返る。「彼の膝が僕の太ももにぶつかって、僕は左脚1本で立っている状態でした。そのショックと衝撃で、僕はその場に倒れこんでしまいました。このとき、僕は腹部を氷に打ち付けて、呼吸ができなくなったんです。脳震盪とかそういうものだとは、とっさに思いませんでした。自分では頭を打った感じはなかったんです。頭もはっきりしていましたし、意識もあった。ただ呼吸ができなかったんです」
彼はあごを縫うけがをし、ほかにも裂傷を負って出血していた。それでも彼はリンクに戻ってきた。頭に包帯を巻き、まるで負傷した兵士のように、再び戦場におもむいたのだ。演技では5回転倒したが、後悔はしていないと彼は言う。
「そのとき、僕は滑りたかった。だから僕が決断したんです。なにもかも、あれでよかったんだと思います。みんな(ファン)も僕があの状態で『ファントム』を滑ったことに感動してくれたと思います。みんなが僕を応援してくださっている姿が見えて、ものすごく感激しました。それが僕がキスクラで泣いてしまった理由です。得点が出て、みんな僕に声援を送ってくれて…それがすごく嬉しかったんです」
中国杯でなんとか2位に踏みとどまった羽生は、翌日に日本に戻ると、10日間の休養を余儀なくされた。
「スケートはなし、練習もなし。ただゴロゴロして、寝て、テレビを見ているだけでした。初めてリンクに戻ったときは、ものすごい痛みがありました。激しい痛みがやわらいできたらすぐに練習を始めました」
羽生は、この事故を何度も何度も見直すことになった。なぜなら、この件はテレビで繰り返し放送され、新聞やネットでも頻繁に取り上げられたからだ。演技を続行した彼の決断をめぐってさまざまな議論がかわされたが、羽生はその議論を十分認識しているという。
「いろんな意見を耳にしましたが、あれは僕が決めたことだったんです」羽生はそう明言した。「僕の決断に賛成の人もいれば、反対の人もいました。ブライアンを非難する人もいた。これは僕にはとてもつらく、悲しいことでした。ブライアンもきっと、そういうコメントにはすごくがっかりしただろうなあと思います」
事故から3週間後、NHK杯に出場した羽生は、当然まだ好調とはいいがたい状態だった。4位に終わり、GPFの切符をぎりぎり手にした。クワドを失敗し、他にもミスが相次いだ。ただし、公式練習や6分間練習では質のいいクワドを何本も跳んでいた。
「100パーセントとは言いませんけど、自分は回復したと思っています。気持ちも戻ってきました。僕が犯したミスの原因は、僕自身の問題でした。怪我のせいにするつもりはありません。これが今の自分の実力なんです」
オーサーコーチは、すべては練習不足のせいだと感じているという。
「秋ごろ、彼の腰に問題が起きたせいで、しばらく練習を休まざるをえなかったんだ」オーサーはそう話した。「きちんとした練習ができていなかった。そんなときに中国杯で衝突が起きて、さらに後退することになってしまった。だから、NHK杯ではほんのわずかでも向上が見られることを期待していたんだ。練習の状態を見ただけでも、前進はあったと思っているよ」
オーサーが言うには、五輪チャンピオンが新シーズンを迎えるのは常に難しいものだという。羽生にとってこの件はいい学びの経験になっただろうと、オーサーは感じている。
「僕らは広い視野で物事を見ているんだ。広い視野というのは、もちろん全日本選手権とワールドだよ。今回の件は彼にとって、練習を少しステップアップさせるいいきっかけになったと思うよ」
時差の多い地域の移動を避けるため、羽生はNHK杯後は日本にとどまり、GPFへの準備をすることになる。
「ブライアンはすぐに練習スケジュールを送るよ、と言っていました」羽生はそう話す。「確かに、練習時間はあまり十分とは言えないですね。僕は(NHK杯で)負けました。2つの(GPSの)試合でたくさんの課題が見えてきましたし、これから挑戦していかなくてはならないこともわかってきました」
羽生にとって、すべては挑戦だ。自分自身に挑戦し続けることこそ、彼があれほどの成功をおさめた後もなおモチベーションを維持できる理由なのだ。
「プライドとか、自分への誇りとか、そんなんじゃないんです。(再び)チャレンジャーになれること、これがすごく大事なんです。今シーズンはプログラム後半にクワド(4T)を入れようとしていますが、今のところまだ成功していません。努力を続けて、こういった新しい課題をクリアしていきたいと思っています。それでも、健康がすごく大切なことには気づかされましたね。ブライアンはいつも言うんです。君の体が一番だよって」
12月7日に20歳を迎える羽生。五輪金メダリストになった後も、自分ではまったく変わっていないつもりだ。だが、時にはメディアやファンから寄せられる注目の大きさに、対処しきれなくなることもあるのだと、彼は打ち明けた。彼は何よりもまず、アスリート――全力で競技し、演技にうちこむスケーター――でありたいのだ。
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