何が羽生結弦を滑らせたのか(7)――痛みと苦しみを乗り越えた先に

青嶋ひろの(フリーライター)

2014年11月25日

そして最後は、やはり彼自身に言わなければならない。

 様々な状況も、積もる思いもすべてわかるけれど、それでもあの時のあなたの選択は、アスリートとして危険なことだったよ、と。



 今、そこにある舞台ではなく、これから何年も続く競技人生を。
 いや、その先のあなたの人生そのものを考えて。自分の身体のことだけでなく、
 あなたを思い、心配する人々のことを考えて、危険をおかしてはいけなかった。
 あなたの崇める英雄が、ソチオリンピックというそれ以上ない舞台を身を切られる
 思いで捨てたように、滑ることをやめる勇気も必要だったのではないか、と。

 もちろんこれまでの彼は、ただがむしゃらに自身の健康を顧みずに進んで
 きたわけではない。たとえば、初めての世界選手権でケガをしてしまった後。


 「やっぱり自分は甘かったな……。無理して試合に出て、ケガが悪化しても
 自分の責任だ、自分が壊れるだけなんだから別にいいんだ、って気持ちが
 ありました。でもすべてが終わって、こうして休んで、足の容体もわかってくると
 ……世界選手権は、やっぱりいろいろな人の助けがあったから終えられたんだな、
 って思った。『できたからいいじゃん!』じゃなくて、やっぱり皆さんが支えて
 くれていること、忘れないようにしたいな、と」



17歳の彼は、ちゃんと自分の甘さを認識していた。さらに、1年後の世界選手権でも。


 「またケガをしてしまって、もう一度……ものすごく反省しなくちゃいけない。また僕の考え方を変えなくちゃいけません。身体のケアや体調管理に対しての考え方――たとえば、『全力でやること』。以前の僕の『全力』は、ただひたすら一生懸命だったんです。身体のことなど何も考えず、ただ駆け抜けてきた。その結果、すごく疲れもたまってしまって、このケガがあった。
 もう、ただ全力で跳んで見せるだけではだめ。疲れや身体への影響や、いろいろなことを考えながら滑って行かなくちゃいけない」


 18歳の羽生結弦もまた、大事な試合前のケガを通して、様々なことを学んでいた。


 それでも彼は、まだ甘かったのだろうか。


 「やっぱりケガをしちゃったら、すべておしまいです。それは十分わかったけれど、でもケガを恐れてびびったり、怖がったり、焦ったり、消極的になったりするわけにはいかない! もっともっと、僕は積極的に行きたいんです」


 とは、18歳の時の言葉。



「これまでの僕は……ジャンプは全部、気合いで跳んでいたんです。痛くても気合いでなんとかしちゃう。多少痛くても、ポン! って跳べてしまうんですよ。だから、『痛いのなんか我慢できるし、きれいに跳べちゃうんだから、いいや』なんて気持ちが、ちょっとあった。それでケガをしやすかったのかもしれません……。ケアをしっかりするんじゃなくて、勢い任せで跳んできちゃった。若さ故に、かもしれないけれど、気分が乗っていれば跳びたくなる。跳ぶのをやめられないんですよ!」


 どんなに学んでも変えられない性、というものも、あるのだろうか。


 

それでも、自分を大切にしない姿勢は、ある種の怠慢だ。痛みを抱えたままの中国杯出場からして、もう無謀だったのではないか。


 「だけど僕は、大丈夫! 身体が壊れたって、4回転跳ぶから! いやいや、ちゃんとケアをして、ケガなんかで消えない選手になります。絶対に僕、消えないです。どんなことになっても、選手を続けますから!」

 そんな彼自身の16歳のときの言葉を、今の羽生結弦にそのまま返したい。


 このままではあなたは、自分の「強さ」に潰されて、消えてしまうよ、と。彼のことが大切だからこそ、言いたい。今、羽生結弦は変わらなければならない、と。


「でも、彼は変わらないと思います。ゆづのアスリート魂は、凄まじいものがある。彼の性格も、チャンピオンとしてのプライドもあるし、かんたんには変わらない。選手を続けている間は、きっと彼はあのままだと思います。たぶん僕らには彼を変えることはできない。誰が何を言っても、彼は簡単には変わらないと思う」

 とは、彼と親しい同世代の現役選手の言葉だ。

 やはり怖いのは、・・・・・続きを読む


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