何が羽生結弦を滑らせたのか(6)――窮屈な空気
 青嶋ひろの(フリーライター)

 そしてこの試合が、グランプリシリーズであったこと。

 「たかがグランプリ、まだシーズン1戦目。シーズンの山場である全日本でも
 世界選手権でもないのに、なぜ無理をしたんだ」という声も大きい。
 特に日本以外の国の選手たちにとっては、このレベルの試合での演技強行は、
 異様にさえ感じただろう。

 通常、グランプリシリーズはシーズン前半の足慣らし、ウォームアップの試合、
 と位置づけられることが多い。そんな試合に全力を出すのはおかしい、と
 欧州や北米の選手たちならば言うだろう。
 ピークをオリンピックや世界選手権に合わせてこそ、一流選手だ、と。

 過熱気味のスケート人気、放映権を持つテレビ局の力の入れよう、さらに国内の
 代表争いの激しさ、選手たちの生真面目さなどもあり、グランプリからここまで
 全力投球するのは、世界中で日本選手だけではないか、などとも言われている。

 特に今季はアフター五輪ということもあり、シーズン前半は休養を決めている
 選手も多く、各大会の雰囲気は例年以上にのんびりしたものだ。
 そのなかで本気で戦っているのは、日本男子とロシア女子――現在最も国内の
 層が厚く、有力選手が極端に集中している彼ら彼女らだけ、などと話題に
 なっている。

 日本のある男子選手をそんなふうに言ってからかうと、彼は至極真面目な顔で
 言ったものだ。

 「でも僕らにしてみれば、やる気がないなら出てくるな! って思いですよ。
  グランプリだって、大事な試合です。僕らは本気で、戦ってるんだから!」

 そんななか、もちろん羽生結弦もグランプリから全力投球。
 特に連覇がかかるファイナルでの優勝を、シーズン前半の大きな目標にしていた。

 全日本選手権 羽生結弦の演技2013年
 拡大2013年12月の全日本選手権で
 彼には「勝ち続けてこそ真のチャンピオン」という意識がとても強い。
 これまでもジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア、世界選手権など
 主だったタイトルはすべて制してきたが、「連覇」を果たした大きな試合は、
 全日本選手権のみ(12年、13年)。
 13年の全日本で2度目の優勝をした時も、彼は自分の「達成」をとても
 喜んでいた。

 だから今年もファイナルで、世界選手権で、「真のチャンピオン」になるべく
 「連覇」への意識がとても強かったのだ。難しいことに、ファイナルに出場する
 ためにはこの中国杯も決して外すことはできない。
 その思いもまた、傷だらけの彼を立ち上がらせてしまった。

 演技を強行した彼の姿に怒りと恐怖を感じつつ、それでも舌を巻いたのは、
 フリーの8つのジャンプのうち実に7つを回り切っていたこと。
 5つのジャンプで転倒、という惨憺たる出来ではあったが、4回転も
 トリプルアクセルも、すべて回転しきった状態で転んでいるのだ。

 現在のルールでは、回転が抜ける失敗や回転不足での着氷よりも、3回転、4回転、
 きっちりまわりきっての転倒の方が高い点が得られる。つ
 まり羽生はあの状況下で、意地でも点数を稼ぐこと、勝つことにこだわっていた。

 転倒の痛みや身体への負担などを考えれば、4回転を3回転にしたり、
 回転不足でも着氷して転倒を免れたりしたほうがずっといい。
 しかし転倒することで体力が奪わることよりも、身体がさらに傷つくことよりも、
 彼は本気で順位を取ろうとしたのだ。

 ただ、傷だらけのまま滑って頑張る自分を見せようとしたのでは、決してない。
 なんとかしてこの試合での順位をキープすること、ファイナル進出圏内に残る
 ことを考えての滑りだった。演技強行には納得できないけれど、その心意気は
 見事だった、と認めざるを得ない。

 そんな様々な思い、すべての思いが、あの日の羽生結弦をもう一度リンクに
 立たせてしまったのだろう。彼の「戦いたい」その気持ちは、痛いほどわかる。
 彼の思いをまわりが止められなかっただろうことも、理解できる。

 あのまっすぐな視線、細い身体からほとばしる気力。
 真正面から「出たい!」と言われたら、やはり誰にも羽生結弦は止められなかった
 のかもしれない。

 それでも……ひとつどうしても、思い返してしまうことがある。
 現在の無鉄砲な彼、がむしゃらに前に突き進もうとする彼を作ったのは、
 まわりの大人たち、彼を取り巻く日本のスポーツ界の空気ではなかったか。

 もう、6年も前のことになる。09年3月、中学2年生の彼が日本代表として
 世界ジュニア選手権に出場したとき。
 初めての世界大会での彼は、ショート11位、フリー13位、総合12位という
 惨敗を喫していた。その時も彼はケガを押しての演技だったのだが、
 試合後にケガの状況を周囲に話した時、彼にかけられたのはこんな
 言葉だったのだ。・・・・(続く)
 (WEBRONZA+社会・メディアスペシャル記事


2013年12月の全日本選手権で