いよいよ明日退院。

あれ…


どれだけブログを書いていなかったんだ…

かなり遡り、

7月30日月曜日

手術当日。

さすがに手術前はドキドキ…

緊張した…


はい、深呼吸して〜〜

から、あっという間に意識もなく、

次に目が覚めた時には体がおかしな状態であったのは事実。

手術室に入ってから、部屋の浄化と自分をレイキエネルギーで包んだ。


手術室に向かったのが8時半。そして、7時間半の手術を終え、起こされる。

鼻から管、酸素マスク。麻酔から目が覚め、術後の容態が安定してから、ベッドに移され、部屋に戻る。

まな板の上の鯉状態で、されるがまま。

そして、しばらくして家族が病室に通され、心配そうな眼差しで見守っている。

手術は無事終わり、痛みはもちろん管が鼻から通されていたのと、酸素マスクのせいで、かなり喉が乾く。

まだ飲んではダメ。歯磨きをさせてもらい、口腔内を綺麗にする。

看護師さんが点滴を見にきてくれるたびに、口をゆすがせてもらうが、すぐ乾いてしまった。

翌朝、9時には管が抜けると聞いていたので、すぐに水を飲めるかと思いきや、結局水を飲めたのは11時過ぎ…

翌日翌々日の朝までは痛みとのたたかい。

背中に細い管を通して、硬膜下に痛み止めを入れられるように手術前に挿入してあった。

身動き取れない私の手元にはナースコールと硬膜下に入れる痛み止めのスイッチ。

痛かったら何度押してもいい。

でも。一定量以上は流れない仕組みになっている。

ナースコールを押さずに痛くなると痛み止めのボタンを押すのだ。

それでも痛くなった2日目の夜は点滴で痛み止めを追加してもらう。

30日に手術をして、2日後…

8月もスタート。そんなことを感じる間も無く、お昼からご飯がスタート。

お見舞いに来てくれていた母も妹もびっくり。

しかし、お腹は全く空いておらず、しかも、私が苦手なお粥…

無理するのはやめて、食べられるだけ、少しだけ食べる。

夜もそんな感じで、食べられるだけ…

そんなに食べてもいないのに、便意があり、まだ起きられない私はお尻の下に入れて排便。

大人になって、人にお尻を拭いてもらうとは…。

特養で働いた時に思ったっけ。

介護するのはいいけれど、自分はされたくないから、健康でいようと。

まさかその20年後に看護されるとは…。

8月2日。たくさん食べられるようになったら、管が減っていく…

そんな言葉を担当医から聞いたばっかりに、無理して食べてしまい、その日の午後から夜にかけて、嘔吐。

そして、夜から下痢までスタートする。

💩が間に合わない。

便意があって、ナースコールを押す。

出てしまう…。そんな悲しい時間がスタートしてしまい、3日目の夜からはピーピーなお腹とのお付き合いがスタートする。

1時間〜2時間起き。下手したら、30分前に行ったよね…と言うくらい。

何枚パットがあっても足りないじゃないか…。

ずっとトイレにこもっていたい…そんな二日間。

出るものはすべて出きってしまうと、ぷりっと出るものは透明な粘液。

嘔吐まではないものの、匂いもご飯が運ばれて来るのも、そして後半はその時間が近づいてくるだけで、お腹がグルグル…。

辛い数日が続き、ようやくゲップができるほどに。

やっと胃が動き出し、スイカを食べることができた。

翌日来てくれるという姉家族に、果物をお願いし、スイカから。

少しお腹も空いてきたかな…と思え、恐る恐る食べてみる。

術後1週間後の8月6日から、少しずつ病院食にも手をつける。ご飯ではなく、パン、うどんにしてもらう。

お粥を食べた後に気持ちが悪くなっているのと、大好きな米が食べたくなくなるのがこわかったのだ。

そんな中、だいぶ食べられるようになった私に、食べやすいものを…と持ってきてくれる友達。




こんなに助けてもらって、私は何ができるだろう…

そんな言葉にも、私からもたくさんもらってるよ…と笑顔で返してくれる。

そして、愛情たっぷりのハグをしてくれる。

そんな友達が私にはいてくれる。

そう…この病室に来て、同室になる患者さんは旦那さんやパートナーが必ずいる人たちばかりなのだ。

何のメッセージなんだろうか…。

長くなったので、この辺りで。

次に続く。


甥っ子が黙々と作っていた…

子どもの集中力、想像力はすごい✨