私のSLEの再燃で入院になるまでと共通していたこと(後編) | 元NSの今を感じて心も身体も豊かに自分らしく自由に♡

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14歳で膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス)を発症、看護師になると決意。看護師免許取得後、結婚•妊娠•出産•離婚を経て現在は2児のシングルマザー、看護師は休職中。

おはようございます^ ^
小玉 和代です



私は14歳のとき
膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス)
の診断を受けて



現在も定期的に通院を
しています。



SLEと診断されてから
SLEで入院をした回数は3回


・SLEを発症したとき(14歳)
・長女を出産したあと(22歳)
・離婚後1年半くらいのころ(33歳)



また発症をしてから
2回の入院で
共通していたことを



前回のブログで書きました。
こちら→
(前回は2回目の入院のとき
のことを書きました。)



今日は3回目の入院のときのこと
(離婚後1年半くらいのとき)
そのときの入院までの
流れについて書きます。



離婚とゆうのは
本当に本当に(ここ強調。。笑)
色々と細々とした手続きとか



てんこ盛り。。と
私は思っていて。笑
(感じ方や中身内容の
個人差はあると思います。)



そのときのわたしの
頭の中は
たしか



とにかく進めるぞー。。
(↑今なら笑い話でしかないけど。。)



とまっすぐ
一個ずつ



コツコツ。。
コツコツ。。



でも出来るだけ早く!
と思いながらやっていました。



長女、次女の
転園先、転校先を決めて
それぞれ見学に伺ったり



また在籍中の保育園、小学校に
転園、転校を伝えるため
面談をさせてもらったり



新しい仕事を探して
(その当時のお仕事場は
住んでいたところから近かったため)



新しい仕事場へ
面接へ。。



また在籍中の仕事場に
退職の希望を伝え



新しい仕事場にうつるときは
(どちらも週4日勤務ではあったものの)
お休みは特にとらず転職をし



娘たちが
保育園、小学校に
行っている間に



1人で引っ越しの準備と
引っ越し



様々な名義変更したり
(自分のもの、子供のもの含めて)



様々な人に書類を作成をしてもらったり



引っ越したあとも
次女が登園拒否したり



長女が不登校になったり



と。。ブログなので
結構端折っているところも
あるのですが



4年近く経った今
振り返って思うのは



実家に帰らず
(自身の幼少期から高校時代まで
住んでいた実家に帰るのは
難しい状況だと判断したため)



離婚に関わる様々な
手続きを1人で全て行うというのは



SLE持病あってもなくても
結構体力が必要なことだったかも。。
と思います。



仕事は一旦やめてから
手続きをしてもよかったと思うし
(やめるという考え方はなかった)



いっぺんに色々
同時進行でしなくても
よかったのかもしれません。
(同時進行でしなくては
ならない状況もあったのですが)



こうゆうときに
淡々とただただ話を聴いてくれる人が
いるといないは違うと思いますし



体調に寄り添うことも
あまりしてなかった


身体が大変なときも
無理して
仕事に行っていたし



眼腫れても



足がむくみ始めても



むくみがとれなくなって
靴が履けなくなるまで



頑張らないと
頑張らないと。。



と頑張らないと
魔法を自分にかけ続けていた結果



当時の定期的な
SLEの診察時



入院治療が必要です。
と。。



(あーやってしまったな。。)
となりました。



2回目の入院と
3回目の入院の
共通していること


身体に寄り添うことしていなかったこと
(体調不良なときも身体を休ませることは
考えなかった)


人に頼ることをしなかったこと




体調がよくないときは
大丈夫だろうと思いすぎず
まず体調よくない自分を
みとめること



そしてわたしはどうしたい?
わたしにきくこと



自分の考えだけでは
どうにもならないときは



ニュートラルな立場で
考えることができる方に
聴いてもらうこと
意見をもらうこと



自分がまず無理をしないで
自分の大切にしたい人を
大切にするには


どうしたらいいのだろう?
私にできることって何だろう?



こんなことを考えながら
今、新しく生活を
お仕事をみつめ



開始しようとしています。



いつもありがとうございます♡