私は離婚歴があり、国際結婚でした。

そして、ついこの事実を隠してしまいます。

別に悪いことしてないのにね(笑)

私の経歴をざっと説明します。

大学卒業➡張り切って東京に就職➡体調が悪く実家に帰る➡親と険悪で再度東京に就職➡28歳の年に実家に帰る

こんな流れです。

なかなか根無し草っぽく見えますが、その時その時は一生懸命生きようとした判断だったんですね。

私は25歳の時に故郷でとある外国人女性と付き合っており、一年ほどしてせがまれ結婚しました。

顔も性格も悪くないのですが、何というか根本的な価値観が違うため、おそらく別れることになるのではと暗に考えていました(~_~;)

価値観以外にも致命的な裏切りがありました。

付き合って半年してから他の男の子供を妊娠してきたのです。

泣いて誤ってきたので、仕方なく許すことにしました。厳密に言えば許したわけではありません。
しかし、彼女はこの国に親類は一切いないわけですから、私がいなくなると誰も支援する人間がいないのです。

天涯孤独、考えるだけでも辛いではありませんか。

ただただ見捨てられなかったという、考えようによっては根性無しの男でした。

ということで初めて産婦人科に行き、自分の子供ではないのにサインをして手術をするという屈辱的な経験をしました。

良い時代もあったのですが、彼女とは故郷と川崎市で一緒に二年ちょっと暮らして関係は終わりになりました。

それぞれ仕事をして、生活も独自のペースでするようになり、いつしかあまり話すこともなくなり、そしてあまり帰ってこなくなりました。

関係が悪くなったのは彼女のお金への感覚が許しがたく、私が激しく文句を言うことが多かったからなのかと思います。

普通はつつましく毎月貯金をしていくものですが、私の努力を消し飛ばすような散財をするのを許せませんでした。

もはや生活を安定させる気は全く無いようでした。

この女と財布を一緒にすると破滅すると思い、完全に彼女への援助等はしませんでした。

つまりお互い勝手に自活していこうやという形になり、破綻へと向かって行きました。

27歳の年にはほとんど帰ってこなくなり、友達の家にいると言ってましたが、男と暮らしてるのは明らかでした。

でも、もはや何の感情も湧かず、一人暮らし状態を満喫していました。

一人で弁当を詰め、電車に乗り中野の職場に行き、定時で帰ってネットを楽しむ平和な日々。

ただし、勤めていた電子部品商社は零細で、業績が危うく未来は無いのは誰の目にも明らかでした。

秋のある日に親から電話がきました。
福祉会社を作るから帰ってこいと。

ちなみに私は福祉系の大学を出ています。

私は田舎にいても未来が無いと思いましたが、今の自分の状況ほど未来が無い状況は無いだろうと思い帰ることにしました。

退職届けを出し、アパートを引き払い、別れを告げました。

最後にラゾーナ川崎のフードコートで話しをすると、大阪出身の慶応卒の外資系銀行員と一緒になってるそうでした。

もはや何の感情もわかず、良かったじゃないかと元気でねと言いました。

色々学んだことがあるのですが、他人と一緒に暮らすのは楽じゃありません。

特にお金の価値観がズレていると大変なことになります。

全てをリセットして川崎から東北に帰った私を待ち受けてるのは、またも厳しい状況だったのです。

次回、東北帰還物語です(笑)





朝起きると雨が降っていて、相変わらず気分が優れませんでした☔

朝の気分がその日一日を決めると言っても過言では無いと思います。
朝に元気一杯起きて家を飛び出し、仕事や学校に向かうのが健全な人生と言うものです(´・Д・)

私は大学生の終わりに不安障害を発症してから、そんな朝を迎えることを求めて悪戦苦闘しています。

気分など自分ではどうにもできないので悪戦苦闘しようがあまりないのですが、痛みから逃れるために人間はありとあらゆる手段を取るように、精神科に行き、あらゆる文献を調べ、誰かの名言集を読んだり、サプリメントを探したりしてきました。

特に最悪だったのが就職したての時で、あまりの強烈な不安、抑うつ症状で精神科通いをしました。

病気を患いながら東京の満員電車に乗ると、ここは地獄の三丁目なのかと生きる辛さを存分に感じることができました。

私が就職した2006年は好景気で、就職先の田町にある半導体商社は業績好調でしたが、私のコンディションは大恐慌でした😢

そこで悪名高いパキシルなる抗うつ薬と山のような抗不安薬を出されましたが、体調は改善されない上に、パキシルが効かないため止めるために断薬すると頭がビリビリしてシャンシャンなるわけです((((;゚Д゚)))))))

ネットで見るとビリシャンと呼ばれる離脱症状で、みんなが苦しんでいるようでした。

後からわかったことですが、この類の薬は偽薬とほとんど効果が変わらず、パキシルに関しては製薬会社が強力な副作用を隠蔽したとして数千億の制裁金がアメリカで課されたという悪質企業に作られた薬でした💊

瞑想したり、薬を変えたり、森田療法なるものをためしても改善できず、鉛のような身体を動かして電車に乗り、帰ってくればスーツのまま布団に倒れこむ悪夢のような日々を二年弱過ごしました。

もう限界だった私は大企業の半導体商社を退職し、東北の故郷に帰ることにしました。

親が飲み屋を何軒か経営しており、何とか自営業として出直そうと思いました。

その判断が正しかったか誤りだったのか、波乱の20代は続いていくのでした。

そんなことを思い出しながら、今日も仕事に向かいました。

気分が良かろうが悪かろうが、経営をしなければなりません。

頑張ります( ´Д`)y━・~~


社長業は上司にいびられることは無いが、問題という問題を投げつけられるゴミ箱のようなポジションです。

せっかくの休みに会社から電話がきました☎

「⭕⭕さんが脱走しました」

ふざけたことに夜勤者が鍵を掛けていなかったそうな😣

社長になって一年半、赤字で死にそうな会社を黒字にして、施設の数も一つ増やして成長軌道に乗ったというのにこれです(p_-)

悪いことに市街地に施設があるため交通量が多く、事故率50%くらいあると私の計算式では出ました。

仮に事故に遭わなくても、認知症の人は疲れを感じないで歩き続けるスーパーパワーを持ってる人が多いので、見つからずどこまでも歩き続けて、道に倒れこんで死んでしまうでしょう💦

脱走して20分、成人が10分歩くとおおよそ800m程度歩ける。

半径1.6キロ以内にいるわけだが、全方位を探せないし、とりあえず走って周りを探してみました。

アホな判断でした。人の足程度の機動力で探し出せる可能性はほとんどありません。ただ、息がきれて終わりです🏃

業務上過失致死容疑で逮捕かなー、でも前科無いから実刑は無いだろうなー、家族から訴えられて裁判かなと考えながら車に乗りました。

1.6キロは直線で進んだ場合だから、いくつもの交差点や曲がり角があるため、1.6キロよりはかなり近くにいると過程しました。

まず、右に行くか左に行くかで、何となく右に行きました、そして何となく交差点を三つくらい通り越して1キロくらい走り、これ以上は行き過ぎだと思い何となく右に曲がりました。

そこには大きな県立病院があり、遠目に病院の方を見ると怪しげな高齢者がうろついてるではありませんか。

猛烈に急いで追いかけると、⭕⭕さんでした。

何という確率でしょう。
曲がり角一つ間違えていたら見つからず、私は逮捕だったでしょう(°_°)

事無きを得た結果になりましたが、この仕事が少し嫌になりました😓

人が亡くなる度に電話がきて、救急車に乗り、死亡しましたと話しを聞くのもうんざりしてきました。

まあ、社長が周りにこんなこと言えないので、ブログくらいは正直に書こうかと思います(笑)