被害者の立場は楽だよね。

責めて泣いて謝らせて、いつまでも加害者としての他人を心の中に飼っておけば、被害者として叩きのめす口実ができる。

正当な理由で「加害」できる。

どっちが加害者なんだろうね。

弱いということ、傷ついたということを武器にして、ぶん殴って愉しんでるんだよ。

自分が正しいと思ってる。
だから、相手が少しでも間違ったと思ったら、舌舐めずりをして噛みついていく。

暗にわからせよう、従わせようとする。

そのことに気づいていない。
それが共依存的だということに自覚がない。

なぜなら自分は被害者で、だから正しくて、
相手を叩くのは正当防衛だと信じているから。

慰安婦問題を繰り返し引っ張り出して、事あるごとに金をせびる韓国みたいに。

行動を選択した結果、道理に反したことをしたのはそっちなんだから、手が出せないと高を括っている。

だから自分からは主体的に選択しない、行動を選ばない。

そうして他人を叩いてきたから。
主体的に選択することは、叩かれる側に回ることだから。

行動の理由は常に他人のせい。
今の自分になったのも、これからも、全部他人のせい。

他人のせいで台無しになった、と嘆いていれば、責任は取らずに済む。

でも、今の場所から一歩も動けない。

動かないのは、自分自身なんだ。

誰も動かしてくれない。

他人をうまく使ってストレス発散しても、自分自身が足を踏み出さなければ、そこから一歩も進まない。

今をつくっているのは、他ならぬ自分自身でしかない。

いつまでも誰かの何かのせいにし続けたら、もう何も変わらない。

たとえば処方薬依存の人たちは、よく医師を批判する。

「彼らが安易に処方したから私は依存したんだ」
「私たちは飲みたいなんて思ってなかったのに」

そうやって医者を悪者にして、全部今の不都合は彼らのせいだと泣き叫んでいれば、同情してもらえるか?

確かにきっかけは医師だったかもしれないが、飲んだのは自分。頼ったのも自分。

そして今これからを変えるには自分が変わるしかない。

依存を抱えて生きるしかない。
医師を責めたって明日は変わらない。

なんか、そんなことを思う。

弱いままでいたいから、病んだままでいたいから、
一部の人は、ずっと弱く病んだままでいるのだと。