ただの病気である





私はラッキーだと思う

妻に逢えたこと

病院に繋がれたこと

病気を知れたこと

自分を知れたこと

他人を知れたこと



今生きていないだろう、確実に。

それら、助けや偶然がなくては。

この一連の経験を経なければ
今得られた生き方や考え方は
受け容れられなかっただろう。

だから、幸せなんだと思う。



断酒会は正直息苦しくなってきた

前は
飲み会の方が息苦しく腹立たしかった

自分をみているような酔っ払いが
心底頭にきた
見たくない自分の過去を
リプレイされている
屈辱感というのか


しかし今は、「あぁ、ラリってんな笑」
くらいにしか思わない

むしろ、
断酒会のなかで
同じ穴の狢なのに
同じ病気の患者のくせに
やれ断酒歴が長いだの
やれ入院中はわからないだの
家族がどれだけ辛かったか毎日心に刻めだの

なんだかなぁ
まぁそんなカッカすんなよ

自分もそうだったろう?
自分だって失敗してドン底にいて
気づかなきゃわかんなかったろう?
それは他人に言われても
簡単には受け入れられなかったろう?
失敗から学んだことだろう?

と半ば呆れている

自分がそうだったから余計に歯がゆくもどかしい
その気持ちはわかるけどさ

理想は理想

己が
「カッコいい」「なりたい」「そう在りたい」
こう思えなきゃ、断酒なんて狂った所業、
続かんよ

酒を止められない身体と頭になる病を患い
止められないはずの酒をやめ続けて生きるのは
ある意味、いい意味で、狂ってる

狂いながら生きているよ、俺たちは。





他人にあれこれ
腕組みしながら言う前に
まずは自分だろうよ

一生治らない病

それに気づくまでに犯した罪

みんな、そこは大なり小なり
たいして変わらんよ

警察捕まろうが
牢屋入ろうが
奥さんを刺していようが
子供に絶縁されてようが
そうであろうがなかろうが

すぐそばにあった未来
今からでもそこにある未来
だから共有する過去

それが
彼であり彼女であり俺であって

みんな一緒で
みんな違う

だから悩むし間違うこともある

起こった出来事は違えど
気づくポイントは違えど
本質的にはみな、同じ。



そこの程度はぶっちゃけ
どーでもいいんだよね

起こした罪を受け容れ乗り越え
それぞれに回復して成長するのだから
その速度も方向も、多少やはり違う
でも、目指す光は一緒。

だから、
励ましあえる、
頑張れる、
救われる瞬間がある。

それで当たり前だと思うよ、俺は。