熊谷守一。
この絵を描くのに、蟻が“どの足から歩くのか”まで、
画家。
最近展覧会で絵を見る機会があった。
この絵を描くのに、蟻が“どの足から歩くのか”まで、
じーっと近寄って観察した人。
左の二番目の足から動き出すことを発見したらしい。
すごい。
“事実” “真”に、
緻密に、執拗に、
歩み寄り眼を凝らさなければ
気が済まない人。
何回も同じ構図で描き、
時間を開けてはまた描き、
なんというしつこさ。
私は自閉症スペクトラムだからか、
こだわり出したら気がすむまで止められない。
その気持ちがすごく良くわかる。
妻が「うわー、似てるわぁ」と
引き気味に隣で呟いた。はい、すみません。
晩年は影を色の違いで表現したからか、
カラフルだけれど、若かりし頃の作風はこんな。
“闇から眼を背けない”人
だったのだろうか。
列車の飛び込み自殺に遭遇したことが
彼の画家としての死生観を
決定づけたのかもしれない。
それを描いたのが、『轢死』という作品。
現在は油絵の具の黒色化が進み、さらに黒い。
影をただ暗色で描くのでは、
本当の意味で暗さをかけていないのでは?
と色彩を科学して
編み出された技法もさることながら、
熊谷守一の絵の対象物の輪郭を赤で描くところが
私はすごく感慨深いものがあると思う。
光が弱くとも、“今在るもの”の輪郭は
存在そのものの証。
だから、淡い宵月の光にも、熊谷守一には
木々の輪郭が赤々と映ったのではなかろうか。
その赤さは、『轢死』で目の当たりにした
“劇的に突然に、命が終わる瞬間”が
何十年も彼の頭にこびりついて離れない
血に染まった輪郭を思わせて
私はそこに、ひどく共感を覚える。
存在とは、静かすぎるほど激烈なのだ。
明暗は、存在そのものをより見えやすく
浮き上がらせる。




