来週月曜、母が我々のところに来訪する。
しかし、これは本人しか決められない。
世間様としては、
両親を大切にすべきで、
わざわざ来てもらうより行くべきで、
来てくれることを喜ぶべき。
なんだろうけど。
私はどうしても、そんな風に思えない。
なぜ来る?
来なくていいのに。
というか、来てほしくない。
あれやこれやと、私のことや
私たち夫婦のことを心配するのが
趣味なのだろうか。
迷惑だから、
もう我が家に関わらないでほしい。
来る途中に、自損事故で
死んじゃえばいいのに。
と、本気で思っている自分がいる。
そしたら、もう気にしなくて済む。
いっそ、消えて無くなってくれたらいいのに。
母は、私に似ている。
おそらくアスペルガーで、ACだ。
本人は気づいていないが。
今思えば、祖父がアルコール依存症であり、
酒害を撒き散らしていた家庭で育ったことが、
少なからず影響している。
同情を禁じ得ない。
友人ができず、空気が読めず、
その寂しさや怒り、苦しい気持ちは
痛いほどわかる。
だからこそ、余計に我々に依存してほしくない。
私をいつまでも「心配な長男」にしないでほしい。
その様を見ると虫唾が走る。
そこから抜け出さなくては、自分の願いは見えてこないのに、と。
それだけが、私を形作っているわけではない。
自閉症スペクトラムは生まれつきだし、
親がどうでも、自分が感じてきた世界だ。
自己責任だ、基本的には。
ただ、母の過干渉が要因の1つとなり、
俺は自分の好きな事さえわからない
生きづらい失敗作になったのに、
30年以上見てきて
そんな事もまだわからないのか。
幸せか、不幸か。
それを決めるのは、己自身で、他人じゃない。
だから、親の願いは願いとして、
本人の幸せとは切り離されているのだ。
劣っているからといって不幸なわけでもないし、
優れているからといって幸せなわけでもない。
他人との比較から幸せは見つけられない。
他人と比較している限り幸せは掴めない。
いつまでも“私”という“金魚”の世話に
依存するのはやめてほしい。
「生きがい」を
他人に注ぎ込むことはやめて、
自分のために人生を生きてほしい。
だから、私は、心身ともに距離を取りたい。
それが私が望むこと。
俺も子供から、そう思われるんだろうか。
私は、
子供には、自分で決めて、
生きたいように、自由に生きてほしい。
転べばいい。
泣けばいい。
また立ち上がれる。
妻の遺伝子があるなら必ず。
どうか、私に似ないでくれ。
そして、私を忘れて、生きてくれ。
陰ながら、見守るから。
俺は少なくともそうして欲しかったから、
我が子にはそうしたい。
母や父も、そうだったのだろうけれど。





