「名前のない家事」が話題になっている。
私は
『理想的な夫』などではない。
そんな人は存在しない。
妄想であり、ただの言葉だ。
私は
アルコール依存症だし、
強迫性障害だし、
どちらかといえば、
俗にいう『煙たい』人だ。
人ともなかなかうまくいかない方だ。
しかし、人は人だ。
私は性善説を信じている。
“気づいたときに気づいた人が”
という基本理念が私にはある。
その基本理念に基づいて、
妻を労わり、家事やペットの世話をする。
今朝、
ペットの糞尿を処分した後、
溜まった洗い物を片付けた。
ちょっとしたことだ。
ちょうど手が洗いたかったから、
次いでだ。
全く苦ではない。
その次いでの家事が、
妻の満足いく程度なのかは、わからない。
それは、妻が判断することだから。
ただ、気づいたら
「ありがとう」と言ってくれる。
「ありがとう」は素直に嬉しい。
けれど、大切なのは、
『私は、感謝されたくて、やっているのではない。』ということ。
「やってもらえたら、自分なら嬉しいな」
と思い描くからやる。
これこそが、原石。
だから、妻の為でもありながら、
巡り巡って、自分の為なのだ。
妻は、他人は、もう1人の自分。
そのもう1人を救う行為なのだ。
それなのに、
「してあげたのに」
「できるはずなのに」
「忙しくてやりたくないのに」
『自分はやりたくないのに』
と、そんな妄想が、無責任感が、
他人を責める気持ちを生み
自分をも縛る。
他人の領空侵犯をしてはいけない。
『自分がやりたいから、やる』
simpleに、それだけだ。
全てのことは。
そう思えば、無理なく、優しく、
この『煙たい』人間も、
少しはマシに、社会にとけ込み、
生きることができるんじゃないか。
話は変わるが、、
仕事には、ちょー行きたくない。笑
一生懸命進めた3月のプロジェクトが、
中止に追い込まれかけている。
理由は、
社内のコンプライアンス部門の
人間にミスがあり、
知識不足なのを隠すためと、
責任を逃れるためと、
その部門の保身のためだ。
実に、
くだらない。
現場を知らない人間が勝手に決めた
理由のない社内ルールに縛られ、
日和った社員が邪魔をする。
そこには、
顧客がいない、
患者さんがいない、
理念がない。
正義がない。
哀しくて、やり切れない。
お前らのいう、
中止のための『言い訳』など
一滴 一片 1ml たりとも
呑んでやるもんか。







