ヘブライ1:3
1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
人はできれば上に上がっていきたいという欲求があります。下に降りていくことは怖いことでしょう。今の自分のいる位置から下がることは、できればしたくないと思います。でも、どうして下に降りることが怖いのでしょうか。下に降りることは不自由で不幸になることだと思い込んでいるからでしょう。実に、この世の中は上昇することがよいこととされ、下降することを悪いことと思うところがあるからです。この思いは、この世の中の構造で生きていくときについて回る不安です。
しかし、神様は違います。イエス様は人となって私たちのところにこられました。それは、神様と人との和解のため罪を清めるためです。そして、イエスさまは、また、天に昇られました。降りてきて、また、昇られたのです。ここに神様の不思議さがあります。イエス様は、降りてきて、人と一緒に神様のところに行けるように一緒に歩いてくださいます。人が自分の力で神様のところに行けないことをご存じだからです。それ故に降りていく生き方を選ばれたのです。栄光ある天から降りていくことは究極の不安や恐れの世界に行くことですが、それを打ち消す愛がそうすることを可能にしたのでしょう。愛様は神の本質だからです。
現在は、降りていくことに恐怖や不安を喚起させるようになっています。病気になったりして能力がなくなると、たちまち生活の不安を持たざるえなくなります。年をとることも、いろんなことができなくなる不安ととなりあわせです。その人がいるということよりも能力が重視される社会になると、人は降りていくことに不安になり、その人が人として安心して生きていけなくなります。みんな、自分が上に上がろうと、必死で自分のことしか考えなくなります。
けれど、神さまはそういう人間に対して本当にそのままで存在していいとメッセージを送るためにイエスさまが、この地に降りてこられたのです。ありのままで生きていれば、上がることも下がることも自由です。それは神様の思いに生きることだからです。自分の力で上がるのではなく、イエスさまと一緒に上がっていくのです。
何があっても安心してそのままの自分でいられるような神の国がこの地に来るようにイエスさまを通して示されました。そして、イエスさまのなされたことは神の右の座とあるように完全な正義なのです。愛は正義を完成させます。たとえ、降りていくことになっても、不安を乗り越えた完全な愛が私たちの内にあるなら、それは、世の中を完全な正義へと導きます。
イエスさまが降りて、昇られたことは、私たちへの限りない愛の現われなのです。
1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
人はできれば上に上がっていきたいという欲求があります。下に降りていくことは怖いことでしょう。今の自分のいる位置から下がることは、できればしたくないと思います。でも、どうして下に降りることが怖いのでしょうか。下に降りることは不自由で不幸になることだと思い込んでいるからでしょう。実に、この世の中は上昇することがよいこととされ、下降することを悪いことと思うところがあるからです。この思いは、この世の中の構造で生きていくときについて回る不安です。
しかし、神様は違います。イエス様は人となって私たちのところにこられました。それは、神様と人との和解のため罪を清めるためです。そして、イエスさまは、また、天に昇られました。降りてきて、また、昇られたのです。ここに神様の不思議さがあります。イエス様は、降りてきて、人と一緒に神様のところに行けるように一緒に歩いてくださいます。人が自分の力で神様のところに行けないことをご存じだからです。それ故に降りていく生き方を選ばれたのです。栄光ある天から降りていくことは究極の不安や恐れの世界に行くことですが、それを打ち消す愛がそうすることを可能にしたのでしょう。愛様は神の本質だからです。
現在は、降りていくことに恐怖や不安を喚起させるようになっています。病気になったりして能力がなくなると、たちまち生活の不安を持たざるえなくなります。年をとることも、いろんなことができなくなる不安ととなりあわせです。その人がいるということよりも能力が重視される社会になると、人は降りていくことに不安になり、その人が人として安心して生きていけなくなります。みんな、自分が上に上がろうと、必死で自分のことしか考えなくなります。
けれど、神さまはそういう人間に対して本当にそのままで存在していいとメッセージを送るためにイエスさまが、この地に降りてこられたのです。ありのままで生きていれば、上がることも下がることも自由です。それは神様の思いに生きることだからです。自分の力で上がるのではなく、イエスさまと一緒に上がっていくのです。
何があっても安心してそのままの自分でいられるような神の国がこの地に来るようにイエスさまを通して示されました。そして、イエスさまのなされたことは神の右の座とあるように完全な正義なのです。愛は正義を完成させます。たとえ、降りていくことになっても、不安を乗り越えた完全な愛が私たちの内にあるなら、それは、世の中を完全な正義へと導きます。
イエスさまが降りて、昇られたことは、私たちへの限りない愛の現われなのです。