マルコ11:24
だから、言っておく。祈り求めるものは、すべて既に得られたと思いなさい。そうすればそのとおりになる。


願いを持たない人はいません。願いがあるから叶えられないとき、失望したり、叶えられると、喜ぶのです。願いがなければ、喜びも失望もありません。ただ、無味乾燥した毎日でしょう。

願いをもつからこそ生きる張り合いがあると思います。私はこれまで自分の願いで苦しむことはなかったように思います。昔からあんまり欲しいものもなく、どこか冷めた子でした。

よく言えば、欲がないのですが、ある意味、生きる気がないのかもしれません。だから、そんなに強烈に祈り求めたこともなかったかもしれません。


しかし、それでも不思議なことに願ったことはほとんどなんらかの形で与えられて、それは、すべてよいものでした。叶わなかったものは、私にとって危険なもの、自分勝手な願いです。しかし、それらも、正しい方向に向かうように変えてくださいますので、すべて叶えられたと言っていいと思います。


最近、自分の内に抑えられないほどの願いがあり、そのために苦しさを感じます。私は、それが叶わないなら、その思いを取り上げて欲しいと願いましたが、ますます願いが深まるばかりです。その思いはどこから来るのでしょう。私にはそんなに強烈に願う力はありません。もういいと何度も思おうとしても、迫ってくるようです。不思議です。


「あなたがたの内に働いて、みこころのままに望ませ、行わせておられるのは神である」 フィリピ2:12


自分の内にある真っすぐな思いも神から与えられるのです。神の与える思いは感情的な熱さだけでなく、知性の冷たさだけでなく、それらのものを越えます。


ただ、信じてみこころがなるように祈り求めるとき、神さまと心を合わせて、みこころが実現していくのです。


自分の今の願いがどうなるかわかりませんが、なるようになっていくでしょう。何か意味があるのですから、そのままでいたいと思います。