ヘブライ10:19-23
10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。
10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。
10:21 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、
10:22 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
10:23 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう


生まれたての赤ちゃんは、何もできませんが、親にすべて信頼しきって、いつも親から離れることはありません。赤ちゃんは、私たち、大人のように後ろめたさも、悪い思いこみもなく、ただ親と離れずにいようとします。赤ちゃんは純粋に信頼するということを自然に身につけていきます。赤ちゃんは人間が生きていく中で一番大事なものを知っています。

大人になっていくにつれて、うまく生きていきたい、正しく生きなければという思いが優先し、あるがままの自分でいることに後ろめたさや悪い思いこみで自分を守って生きるようになります。わたしたちは、無防備だと、生きていけないと悟るからです。そのために自分なりの基準に従った生き方を身につけていきます。親や年上の兄弟はその見本になります。また、自分の育った環境の影響はとても大きいのです。だんだんとありのままに戻ることなく、窮屈な服を着て生きるようになっていきます。神さまは心を痛めながらも私たちを見捨てずにご自分の思いを日々伝えておられます。それなのに素直に聞けない私たちがいます。

本来は神さまを信頼しきって、真心から神に近づけばいいのに、この世の中では、良心のとがめだらけです。「わたしのような人間が神様なんて遠すぎる」という思いです。神様は人を慈しんで愛されるべき尊いものとしてお造りなったのに、人間はその思いを無にしてしまっているのです。それで、神さまはご自分のところに人を戻すために、イエスさまをお送りになりました。私たちが神から離れているのを修復するために、イエスさまの血をもって私たちを清め、その肉を通って、わたしたちに新しい生き方を示してくださいました。

昔、イエスさま以前のイスラエルでは、神と人がつながるために生け贄を幕屋で捧げなければなりませんでした。祭司は生け贄の血で、私たちを清め、幕を通って神と人とのつながりを回復したのです。しかし、神様は人とのつながりを回復するため、イエスさまの十字架をただ一度きりの生け贄としてわたしたちに贈られたのです。神さま自身が生け贄になられたのも同然です。だから、私たちは、神様の溢れるばかりの愛がここにあると、イエスさまはわたしの主だと公に言い表す希望に生きられるのです。この希望を日々保っていたいのです。

エレミヤ20:9「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまいと思っても、主の言葉はわたしの心の中、骨の中
に閉じこめられて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。わたしの負けです。」
エレミヤがこのように語ったように、イエスさまは生ける御ことばです。御ことばは、私の内で火のように燃え上がり、私の希望となって今日も生きているのです。それが私を生かす原動力なのです。