エフェソ2:8-10
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためなのです。なぜなら、私たちは、神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。私たちはそのよい業によって歩むのです。
最近、いろんな問題があっても、囚われないで淡々と生きていこうとする私があります。あまりにも感じすぎるとしんどいから、適当に関わって冷めて生きていくあきらめというか、無関心というか、綺麗にいえば、「神さまにおまかせします」という思いがあるように思います。自分なりに状況を分析し、何もしない理由にしています。冷たい頭が必要であったとしても、他者のことを思って、自分がしんどくなるまで苦しみ、本気でいっしょに歩むという姿勢があってこそイエスに従うということなのに、それができません。そんなとき私の信仰はなんなのかと考えることがあります。きれい事でごまかしているだけかもしれないと思うときがあります。
しかし、この思いの中に自分の傲慢さを見ます。クリスチャンだからよい業をしなければならないとか、よい業ができて当たり前とか、思っている私があるのです。そして、善い業ができている私を誇っているのです。確かに信仰は、行動を伴う必要がありますが、その行動は自分の力でするものではなく、神さまの恵みの結果なのです。だから大きな働きであろうと、小さな働きであろうと神さまの恵みには違いありません。善いことをなす力も信仰も神様から与えられたものです。ただ、与えられたものに忠実に心を込めてさせていただけることに感謝しています。