申命記8:3 人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

年末に風邪をこじらせて何も食べられず一週間過ごしました。かなり疲れが溜まっている中で頑張りすぎたからかもしれません。体は動けなかったけれど、頭は元気だったのでもっぱら聖書を読んで念祷していました。考えようによっては一番好きなことをさせてもらったのかもしれません。いつも、み言葉は、私を元気づけてくれます。お腹の調子が悪くてご飯が食べられなかったけれど、み言葉はご飯以上に生きる力を与えてくれます。だから、み言葉がなかったら私は生きていけないことがわかりました。み言葉は命のエネルギーなのです。その一週間で、あまりにもしんどくて一日だけなにもできずぼんやりとしたときがありました。その日はなにか生きた心地がせず、空虚で生きたいとも思わないような日でした。なにか見捨てられたようで今まで感じたことのない闇でした。なにもかもできなくただいるだけ。その日は不思議でした。み言葉が奪われたら、きっとこんなに苦しみと空虚感に襲われるのだと思いました。今までみ言葉は、ただパンと同列に並んで必要なものだと思っていましたが、今回の不思議な病気でまずみ言葉があってパンがあるのだと教えられました。私はパンのためみ言葉をおろそかにしていないかと心に問い掛けています。み言葉だけに生きるように神さまは私を訓練してくださっているのだと思います。


昨今、行き先が不透明です。あちこちで争いが起き、災害も起きてどうなるのかと不安になります。しかし、み言葉を食べて生きると、神さまは必ず動くことのない命をくださり、希望の地に導いてくださいます。いろんなことが起きても過度に動じることなく、毎日を生きようと思います。