ヨハネ15:17 互いに愛し合いなさい。これが私の命令である。



人はだれしも愛されたいと強く望んでいます。その愛が得られていないと感じるときに、人はどんな手段をつかっても愛されようと無茶苦茶に努力します。それが愛を得るにほど遠い行為であっても、その行為を通じて愛してほしいとばかり叫ぶのです。なぜなら愛がなかったら人は生きていけないからです。愛は、その人の能力や資質、性格を超えてその人の存在そのものに働きかけます。人は愛されているということがわかれば、それだけでよいのです。


しかし、人には愛するという力がありません。愛のないものだからです。人は自分の基準にあう人にだけ愛着をもち、そうでない者、自分に害を与えるものを排除します。でもそれは、自分の存在を守るために必要な防御なのでそれが完全になくなれば生きていくことはできません。そんな弱さがあるからです。愛のない自分に落ち込んで限界を感じることもあります。でも、もともと私は愛のないもので、愛することができるのは、ただ一方的な恵みでしかありません。また、弱いからこそその一方的な恵みを受けることができるのです。


互いに愛し合いなさいと神様は私たちに命令されています。命令ですから、わたしたちは何をおいてもその神様の命令に忠実でありたいと強く願うことが大切です。神さまの愛は私たちを厳しく訓練するものであると同時に、私たちの弱さを抱きしめるように慈しむものだからです。この愛がなければイエスさまの福音は、形骸化します。この愛をお伝えすることは自分の全身全霊を注ぐことでマニュアルはありません。


私たちの愛は限定されています。しかし、神様の家族が神の愛に忠実であろうとするとき、限界を感じながら、お互いに相手を思いやれば、限りなく神の愛に近づくことができます。宣教は単にいいお話を宣伝するのではありません。特定の人の力によって成し遂げられるものではありません。神の家族の愛の共同作業なのです。お互いに弱さを抱えながらも、神さまはその弱さを強烈な愛の炎で燃やしつくしてくださいます。人が考えるような方法を超えて神様の愛に近づいていくからです。


人は、神の愛を受ける器になるために愛されたいという強い願いを与えられました。その思いは神さまからの最高のプレゼントだと思います。そのプレゼントを素直に受けるだけで神さまのやさしいまなざしを日々感じて生きていけると思います。