ヨハネ6:48 わたしは命のパンである。



心で決めたことを人は容易に行えるほど思いどおりにいきません。自分がそうなのですから人は尚更でしょう。みことばに励まされてみことばを行おうとするときやる気に満ちていきますが、その一方で自分の力を過信する傲慢さと隣り合わせだと思うのです。神さまはそうした傲慢さを見抜いて徹底的に神さまの愛にすがって生きるように求めてこられます。みことばを道徳や知識ではなく、生きたパンとして食べて命を育むようにされるのです。預言者エリヤは、神さまの働きをなしていく中でさまざまな迫害に遭いました。あるときバアル信仰(偶像礼拝)の預言者を排除したために殺されそうになり、追われ、エニシダの下で力が尽きそうになりました。そのときに天から菓子と水が与えられました。それを食べてまた、歩きだしました。


人生の中には困難があります。もう疲れて立てなくなるときがあります。みことばは単に耳障りのよいいい言葉ではなく、与えられた日を生きる命の糧なのです。たとえ、見通しが立たず不安の中にあっても神に委ねてなんとか生き抜く力を与えてくれます。全く不安でしんどい中でも心の奥深くに動かない平和を保たせてくれます。命のパンを日々、食べて神さまに委ねて生きたいと思います。