列王記上17:24 女はエリヤに言った。「今わたしはわかりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主のことばは真実です。」


今年のクリスマスは、ベッドの上で寂しいときを過ごしました。風邪をこじらせ、寝込んでしまいました。クリスマスに礼拝に行けないのはかなり辛く、ブログにも書けませんでした。やっと回復して元気になりました。

ただ、お祈りがいっぱいできたのと聖書を読めたので一番好きなことができて、イエスさまと二人で過ごせて贅沢だったのかもしれません。

始めは、何もできない自分に焦りを感じましたが、そのうち、私が休んでも神さまの働きは止まらないという確信を得ました。


神さまのお考えは私たちの考えをはるかに越えます。

エリヤは神さまの導きによりシドンのサレプタにいるやもめのところに泊めてもらいました。始め、エリヤは、やもめに家に泊めてほしいと頼むと、やもめは、壷に一握りの小麦粉と瓶にわずかな油があるだけで息子と自分が生きるのに精一杯だからエリヤを泊められないと断りました。エリヤは、それを使って自分の菓子を作ってそれからやもめと息子のお菓子を作るように言いました。そうすれば、それらが尽きることがないと言いました。やもめは信じてそのとおりにしました。そうすると、小麦粉も油も尽きることがありませんでした。それから、息子が病気になって死んでしまいました。やもめは、エリヤに自分の息子を死なせるために来たのかと言いよります。エリヤはその息子を前に神さまに祈ります。すると、息子は生きかえったのです。最初の言葉は、そのとき、やもめが、エリヤに言った言葉です。

やもめは、始め、エリヤがお越した奇跡を信じましたが、それが神の業であることを信じきれていませんでした。しかし、息子が窮地に陥り、エリヤが祈り、息子が生き返るということを通じて、神を信じるに至ったのです。

自分が凄いことをやりとげたり、人が凄いことをやってのけると、やったことに目が行ったり、人の資質や才能を見てしまいます。あの人は賢いからだとかいうふうに。しかし、神さまは神さまを表すために私たちが無力であることを知らせます。無力な私たちが神に求めるとき、神さまは惜しみなく恵みをお与えになります。神さまの言葉は、人の資質や才能、性別、年齢とは関係なく臨むのです。神さまは、その言葉を表わすに相応しい器として私たちを用いられるのです。