ヨハネ20:6 事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には命の泉から値なしに飲ませよう。

ヨハネの黙示録は一見、恐ろしい裁きの書に思えますが、読んでいくうちにそうではなく、完全な喜びと希望の書ではないかなと思うようになりました。私たちはいつも喜びの中に感謝の中にいたいと思うのですが、実際はそんなことはなく、悲しみ、苦しみ、怒り、無関心、ふて腐れる諦めが心を支配することもあります。神さまがなされることが正しいことと分かっていても、困難に耐え切れずに時を待てない時があります。人は頭や心で分かっていても体は正直です。人には限界があり、その存在は限定された不完全さをもっています。それはどうしようもないのです。しかし、この不完全さがあるからこそ神さまの完全さを知ることができるのです。自分が弱くなるとき、神さまの強さを感じます。自分が喜んでいるとき神さまは弱くなられます。私たちは自分の不完全から来る不合理な考え、何かを決めつけ、悪くとらえる心があります。しかし、その思いに対して十字架の憐れみを願い、十字架の恵みを知ることなしに真の喜びはありえません。自分が光の中にずっといれば、光を感じないように、闇にあるからこそ光を感じるのです。自分の不完全さを隠すのではなく、それをそのまま神さまにお見せすればいいのだと思います。それが神さまに委ねるという意味だと思います。魂は、神さまに正直になればなるほど、まっすぐにシンプルになっていきます。神さまとの絆が深まれば深まるほど神さまの完全さに驚き、その中で平和が与えられるのだと思います。