信仰にしっかりふみとどまって、悪魔に抵抗しなさい。 1 ペトロ 5:9
分かっているが、やめられず、どうしようもないことがある。そんなときに正論を言われると、どうしようもなさを認められずにいる自分に耐えられなくなる。だから、放っておいてと言ってしまう。なおも信仰をもって悪魔に抵抗しなさいと言われたら、わたしはそんなに信仰が強くないと言ってしまいたくなる。そんなのできない、そんなの綺麗事と言い張って諦めてしまう弱さを人は持っている。だから、素直になれない。
でも、信仰ってなんだろう?そもそも自分の力で頑張って保つものなのだろうか?信仰にふみとどまることは自分の感情や知識や自分の力で成し遂げられることではない。そんな信仰をもてないとか、自分には無理と決めつけているのは自分が信仰を自分の力で保っていると思っているからではないか。もし、信仰が与えられるものだとすれば、何も自分で判断せずにそのままの信仰を受け止めるだけでよいのではないか。人は元々、自分の力で悪魔に抵抗するすべを持たない者であり、悪いものに囚われて、そこから抜け出せなくなってしまう。そこから抜け出すには自分の力で抜け出せないことを受け止めることが始まりである。つまり、どうしようもない自分をそのまま受け止め、自分を認めて欲しいという気持ちに囚われないことである。自分の叫びに身を任せずにあえて自分を越える方を畏れる。その方は自分をすでに認めて、受け入れてくださっていること、どうしようもない私たちの性のために命を捧げてくださったこと、つまり、命の光であるお方であることをまず感じられるように心をみことばで埋めることが大切だ。私たちには命のことばがない。だから、何も考えず、命のことばを毎日、唱えよう。自分に囚われる祈りにならないように命のことばがちらばったことばで祈ろう。すぐに変化はないかもしれないが、命のことばは悪魔から守る信仰を与えてくれるようになるから。
分かっているが、やめられず、どうしようもないことがある。そんなときに正論を言われると、どうしようもなさを認められずにいる自分に耐えられなくなる。だから、放っておいてと言ってしまう。なおも信仰をもって悪魔に抵抗しなさいと言われたら、わたしはそんなに信仰が強くないと言ってしまいたくなる。そんなのできない、そんなの綺麗事と言い張って諦めてしまう弱さを人は持っている。だから、素直になれない。
でも、信仰ってなんだろう?そもそも自分の力で頑張って保つものなのだろうか?信仰にふみとどまることは自分の感情や知識や自分の力で成し遂げられることではない。そんな信仰をもてないとか、自分には無理と決めつけているのは自分が信仰を自分の力で保っていると思っているからではないか。もし、信仰が与えられるものだとすれば、何も自分で判断せずにそのままの信仰を受け止めるだけでよいのではないか。人は元々、自分の力で悪魔に抵抗するすべを持たない者であり、悪いものに囚われて、そこから抜け出せなくなってしまう。そこから抜け出すには自分の力で抜け出せないことを受け止めることが始まりである。つまり、どうしようもない自分をそのまま受け止め、自分を認めて欲しいという気持ちに囚われないことである。自分の叫びに身を任せずにあえて自分を越える方を畏れる。その方は自分をすでに認めて、受け入れてくださっていること、どうしようもない私たちの性のために命を捧げてくださったこと、つまり、命の光であるお方であることをまず感じられるように心をみことばで埋めることが大切だ。私たちには命のことばがない。だから、何も考えず、命のことばを毎日、唱えよう。自分に囚われる祈りにならないように命のことばがちらばったことばで祈ろう。すぐに変化はないかもしれないが、命のことばは悪魔から守る信仰を与えてくれるようになるから。