ローマの信徒への手紙5:15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かにそそがれるのです。

小学校のころ、いじめられっ子だった私は、今思うとよくあのとき耐えられたと思う。ニュースでイジメられて自殺する子供が体験したような陰湿ないじめにもあったけれど、私は今も生きているし、不思議に怒りも怨みもない。というより、今思えば、小学校の低学年でイエスさまに一目惚れしてしまってからほとんどイエスさまのことしか考えていなかったから。教会には行かなかったけれど、いつもイエスさまがいてくださった。本当に辛くなったときもあったけれど、そのときから聖書を読むようにさせてくださった。だから、私はいつもうれしい。もちろん今も。そして、びっくりするような和解を大人になってした。昔イジメていた友だちと偶然、会った。その子はもともとお家がクリスチャンだったのだが、いろいろあって私をイジメてしまったことを負い目に感じていたみたいだ。本当はすごくその子も辛くて私をイジメずにはいられなかったそうだ。私からその子に声をかけたのだが、その子は私に復讐されると思っていたそうだ。私に辛い思いがないというのはうそになるが、それよりも大事なことをイエスさまにいただいたので笑って和解することができた。人間は弱く、究極的に人を傷つけるか、自分を傷つけるかしか生きていけない。こんな罪をもつ私たちのために神さまは自ら傷ついてくださった。イジメている人も実はすごく苦しんでいる。私はイエスさまの苦しみの満たないところをそのとき満たせていただいたように思う。もちろん、イジメはいけない。でも、イジメは人の苦しみの現れでそのすぐ側にイエスさまが涙を流してボロボロに傷ついておられる。苦しんでいる人の側にいてその苦しみを受け留めていけば、その人はイエスさまに気付き、恵みでいっぱいになる。