マタイ19:29-30 私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。
十戒に「父母を敬え」とあるのに父母を捨てて神さまに従うってどういうことだろう。この矛盾につきあたって悩んだことがある。でも、最近、これは矛盾していないと思うようになってきた。私たちは、親や兄弟、子供など身近な人と共に生きている。それゆえにそうしたものに依存しやすい。それは、愛をくれるはずの親から暴力を受けたりしても子供はその親を愛しているために憎しみと愛の間の葛藤で苦しむ。もし、他人なら苦しくない。寂しさから子供を過剰に支配する親も、子供を愛するがゆえに自分のものにしてしまう。人は、自分の愛するものに囚われ、支配しようとする。この世の中で出会うものはなんだって神さまから与えられたものなのに自分の愛するものに囚われてしまう。これは偶像礼拝のはじまりである。しかし、人は何かに囚われないと生きられない。神さまは、この世の中の何にも囚われずに神さまに囚われよとおっしゃる。すべて神さまから与えられたという思いがあれば、苦しまなくていい。たとえ、それらに見捨てられても神さまはわたしたちが幸せに生きるようにしてくださる。もちろん、神の国は先に入れば幸せという訳でなく、私たちの時間感覚を遥かに越えてこの世を支配されている。神さまに囚われることは神さまに依存すること。神さまに依存することが真の自立だと思う。
十戒に「父母を敬え」とあるのに父母を捨てて神さまに従うってどういうことだろう。この矛盾につきあたって悩んだことがある。でも、最近、これは矛盾していないと思うようになってきた。私たちは、親や兄弟、子供など身近な人と共に生きている。それゆえにそうしたものに依存しやすい。それは、愛をくれるはずの親から暴力を受けたりしても子供はその親を愛しているために憎しみと愛の間の葛藤で苦しむ。もし、他人なら苦しくない。寂しさから子供を過剰に支配する親も、子供を愛するがゆえに自分のものにしてしまう。人は、自分の愛するものに囚われ、支配しようとする。この世の中で出会うものはなんだって神さまから与えられたものなのに自分の愛するものに囚われてしまう。これは偶像礼拝のはじまりである。しかし、人は何かに囚われないと生きられない。神さまは、この世の中の何にも囚われずに神さまに囚われよとおっしゃる。すべて神さまから与えられたという思いがあれば、苦しまなくていい。たとえ、それらに見捨てられても神さまはわたしたちが幸せに生きるようにしてくださる。もちろん、神の国は先に入れば幸せという訳でなく、私たちの時間感覚を遥かに越えてこの世を支配されている。神さまに囚われることは神さまに依存すること。神さまに依存することが真の自立だと思う。