ガラテヤ4:20 私のこどもたち、キリストがあなたがたのうちにかたちづくられるまでわたしはもう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。

日曜日の礼拝で「主の平和」と言って互いに挨拶をしあう。そのとき、握手をしたり、ときには抱きしめられることもある(日本では少ないけれど)。日本では手を合わせてお辞儀をしあう。タイの挨拶みたいである。私は、この挨拶の仕方が素敵だと思う。なぜなら相手の内にイエスさまがおられてそのイエスさまに出会えるからである。ありがたいことだと思う。人に出会うだけ、様々なイエスさまに出会う。私はそのイエスさまに出会うのを楽しみにしている。しかし、イエスさまを見出だせないときもある。そういうときは私の心か相手がイエスさまの存在を忘れているときである。そういう場合、相手を通して教えられる。もし、相手にイエスさまを見出だせなければ、イエスさまを見出だすまで私は相手と共に苦しむ。そういう中でイエス様と出会う。そしてそのイエスさまは相手も私も豊かにしてくださる。ゆらぐことのない深いあふれるばかりの喜びと平和をくださる。


「私はここにいるよ。心配しなくていいから」とイエスさまは言われる。