マタイ10:1
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊にたいする権能をおさずけになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。


イエスはなんでもできるのにどうしてわざわざ不十分な弟子を遣わしたのだろうかと思うときがある。私はときどき、人に頼むより自分でした方が早いと思うことがある。説明しないといけないし、何かと面倒くさい。イエスなら尚更のこと、自分でしてしまうほうが楽なのではと思う。けれど、敢えて、弟子たちにさせたのはどうしてだろうか?


実は神の働きは神ひとりで行うことではないことを身を持って示されのだと思う。自分ひとりでやることはできてもそれは何も生み出さない。そしてそれは限界がある。


人はだれしも自分で歩きたい。自分の足で神さまに近付きたい。誰かの信仰に縋るのではなく、自分と神の関係から自分の信仰を築きたいと思っている。イエスの働きに自分が従うことで自分の足で神に近付けるといえる。

神さまと心を合わせ、気を合わせ、力を合わせることで神さまの御心がなる。