この時間はもう、倒れて意識がなかったんだなぁ…
実際に息を引き取ったのは13:09だったけど
最愛の父に突然先立たれて、それからは実家で1人で生きてた母親
明るくて我慢強くて、みんなに優しかったから、たくさんの人に支えられて…
父が亡くなったあと、母を1人にはできないからと、バンドも仕事も一旦あきらめて母のそばに戻るつもりだった
ちょうどバンドも活休状態だったから、仕事も辞め、何度も送別会をしてもらって…
でも 父の死から少し経って、周りの仲間に連れ出されて、旅行やいろんなコンサートやお茶しに行ったりして元気になっていった母は『まだまだ大丈夫。せっかくやりたいことがあるならやりなさい』と言ってくれて…
まぁ、自分が実家に戻ると夜更かししたりして早寝早起きの生活を崩されそう…と思ったのもあるみたいだが…
そんなこともあり、自分はTHE SOUND BEE HDの前身バンド(DaISUKEソロプロジェクト)に加入することになった
母が亡くなった時は今のメンバーになって半年くらいだったなぁ
広すぎる実家に一人きりで、きっと寂しかっただろうに、娘たちには明るく優しくふるまっていた母
『ボケずに90歳まで生きるから!でも寝たきりになっちゃったら帰ってきてね』と言いながら
病気もせず、健康だったのに、いきなりな急性心不全でした💦
数日後には大好きな氷川きよしのコンサートがあったのに…
母の保険証を探していた時に、家計簿に毎日書いてた1行メモを見つけた
『早くお父さんのところにいきたいなぁ。』
『早く迎えにきてね』
それを見つけた時に涙が溢れ出た
やっぱり1人で寂しかったんだ…
両親は本当に仲が良く、お互いにお互いが世界で一番好きで大切な存在でした
娘たちよりお互いが1番で
自分も妹もそんな両親が大好きで誇らしかった
母は自分で命を絶とうとかは絶対に考えなかったけど、1日も早く寿命が尽きるのを望んでいたみたい
大好きな父のそばに行きたくて
自分と妹が病院へ駆けつけた時まで、心臓は動いてて、自分たちの声を聞いた途端に静かに息を引き取った母
その顔は安心したように穏やかで…
父のそばに逝けることにホッとしたんだろう
十分な親孝行できず、心配かけてばかりな娘たちだったからなぁ…
妹は毎晩電話で話してたけど、電話嫌いな自分はほんとにたまに話すくらいで
メールなら毎日送れたけど、携帯を持つことを頑なに拒んだ母
『決まった時間以外に着信あると、何か悪い知らせかも⁉︎と心臓が止まりそうになるから嫌だ』と
今は天国で父親とにゃんずと一緒に、楽しく幸せに暮らしてるはず
いつも明るく優しい笑顔のままで
毎朝晩、父や母やにゃんずにはお水かえてお祈りするけど、母にはいつも『ありがとう』より『ごめんね』と言ってしまう
寂しくても辛くても悲しくても…楽しいことを見つけて笑えるとこは母譲りな部分かな
だからと言って、『お父さんやお母さんのいる天国へはやく行きたい』『早く迎えに来て』とは思わない
先だったにゃんずたちにはまた会いたいとすごく思うけど
まだまだ幸せにしたいにゃんずや妹や仲間がいるし
やりたいこと、やらなきゃならないことも山積みだから
マヨラが突然逝ってしまって、自分も半分いなくなってしまったようで心に大きな穴は空いたまま
全力疾走したいけど、まだゆるゆるとしか走り出せない自分もいる
お母さん、天国から優しく厳しく見守っていてね
いつもありがとう
そして ごめんなさい