から続き。



『魏略』にいう、


諸葛亮が荊州にいた頃、


頴川の石広元、徐元直


汝南の孟公威らとともに


遊学した。亮が三人に


向かっていうには、


「君たちは郡太守、刺史


にはなれる」と言い、


三人が亮の望を尋ねるが


笑って答えない。




その後、公威が故郷を思い、


北に帰りたくなる。


亮は「中国には優秀な人物


が多い。遊び歩くのは何も


故郷の地には限るまい。」


と言った。




『魏略』


…魏を中心に書かれた歴史書




徐元直 名は庶


つまり徐庶




孟公元 名は建


後に魏に仕え征東将軍にまで


なった。






後の晋代末期の


歴史家 裴松之が


これに対して


言うには、




「『魏略の』この話は、


〈亮が公威のためを


思って言った。〉と


するのが正しい。




これをもし、


〈亮が自分のために


言った。〉とするならば、


『魏略』の作者は亮の心


を悟らぬものと言える」と。






つまり「諸葛亮が孟公威を


奮起させるためにわざと


あえて言った。」と。




このことを、例えば『魏略』


の作者が「自分のために


言った」とするなら、


「亮の心情が理解できて


ない」と。




そんな中で裴松之は『老子』


のなかから文を引用して、




「『人を知る者は智、


自らを知る者は明』と老子は


言うが、すべての賢人達人は


人を知ると同時に自分も知る。


諸葛ほどの見識のある人が、


己の分を知らぬわけがあろうか」


だと。





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