ファックスの具合が悪い

ってんで

実家に呼び出された。


仕事の帰りに寄る。



おかん

今日は

一段とおかしい。。


その時に

延々と

おかんの話を聞いた。


23才ん時に

見合い結婚で


中国山地の麓の寒村部落から

こっちに出て来た。


当時の実家は

増築前で

爺さん、親父

親父の姉1号、3号

1号の息子と娘

と、おかんの7人が


八畳、六畳、六畳と

一段下がった土間の台所

板敷の渡り廊下の向こうの

離れたとのにある風呂と便所


そんなとこに

住んでた。


その後

姉1号の娘が結婚して出て行き


すぐに

子連れで出戻ってくることになる。


右も左も分からん

知り合いの誰もおらん土地で


酒と博打に明け暮れて

家に帰ってこない親父と


小姑に囲まれて

暮らしてた。


並大抵の苦労では

なかったやろ。


姉1号の気の強さと

いけず具合は

俺が子供の頃に

よく分かった。


3号の吝嗇さも

すごかった。


俺が生まれたすぐ後くらい


風呂の工事をして

離れではなく

一体化させることになったらしい。


当然

親父に銭はない。


おかんが

まだ同居してた姉3号に

アタマを下げて

借りに行った。


当時

親父の月給が月六万円くらいの時。


工事に

八万円かかる。


八万円借りて


毎月

給料日に

五千円づつ返したらしい。


同居して

同じ風呂に入ってるのに


1日、遅れたら

ものすごい罵倒されたらしい。


親父は

4人おる全ての姉から

銭を借りてたんで


頭が上がらん。


それに

母親は戦前に亡くなったんで

実質

姉1号に育てられたようなもんやし。


お墓の花が萎れてた。


この金で

花、買って

供えてこい!


って


姉1号に


千円札数枚を投げつけられたことも


一度や二度ではない。


親父が

給料を

給料日に全て

ツケ払いでなくしたことも


一度や二度や三度ではない。


その度に


姉達に

借用に行かされた。


俺も

小学生の時


何べんか行った。


その頃は

3号以外、全員

別に住んでたけどな。


月日が経ち


爺さんは

呆けて寝たきりになり


2年後くらいに死んだ。


姉たちも


みんな

呆け出した。


末っ子長男の嫁は


みんなの世話をした。


姉1号は

最期らへんは


自宅で

モルヒネの緩和治療やってて


痛なる時が

時間、関係ないんで


地獄のようやった。


3号は

施設に入れたけど


財布から

銭が減ったんは

おかんのシワザやと

よう、騒いでた。


ようやく

みんな死んだ。


親父も

呆けまくって


死んだ。


最後まで

とても世話がかかった。




そんな


おかんの


苦労話を


最近


めっさ聞かされる(T . T)



ひたすら


苦労の追体験をさせられて


とても

疲弊する。



おかんの時代


大変やったなぁ

とは

思うが


9割


知らんがな

って思う^ ^


その時に

自分の才覚で

切り抜けてたら

よかったやん。


現に

切り抜けてきてるやん


としか


思わん。



苦労を追体験させられる。


しんどい、、、、、、




8時半頃

帰って来て


晩飯食って

シャワーして


今。



苦労話を聞かされる苦労を


ここに

書いて


見知らぬ


色んな人に


追体験させて


俺は


ココロ静かに




寝よう


( ̄▽ ̄)