子供の頃


小学生1年にあがる寸前に

俺は親父の実家に戻ってきた。


そこから

中学3年なるまで


大晦日の前の日


大晦日イブは


朝から

晩まで


ずっと


親父は

仲間を呼んで


麻雀をする日やった♪( ´▽`)



おかんは

朝早く起きて

大量のおにぎりをこしらえ


うどんの出汁をつくり


その他

漬け物とか佃煮とか

用意してた。


麻雀中の飯の為や。



俺や兄貴は

使いっ走り。


タバコ買いに行かされたり

ビール買いに行かされたり。。


大晦日の晩飯の用意。


元旦は

親父の姉4人

(3人独身、1人夫婦者)


朝から

正月の集まりの為にやってくる。


親父は末っ子長男で

仏壇の守りをして

実家を継いでるから仕方ない。


大正生まれの

上の姉2人は

とても口うるさく


おせちや掃除や片付けに

いっつも文句つけとった。


あと

弟(親父)の身だしなみについても

身綺麗になってないのは

嫁の責任やと

よく、怒ってた^ - ^


せやから


年末のおかんは

大忙し。


黒豆は大量に炊かなアカンわ

(手土産に持って帰って頂く分もあるから)


数の子は戻して

皮を剥かなあかんわ


仏さん(仏壇)は

ピッカピカにしとかなあかんわ


トイレもピッカピカにしとかんと

特に1番上の姉がうるさいわ


玄関の花や

飾りも

古式に則ってないと

2番目の姉(お華とお茶の先生)が

うるさいわ。


3番目の姉は

食べ物にうるさいわ

(死ぬ間際まで、食い意地と銭に汚かった)


4番目の姉の旦那は

酒が大量に必要で


二級酒、出したら怒るわ。



元日は

おー騒ぎ^_^


そんなもんやから


年末のおかんは

キリキリ舞いやった。


そんな中


家、おっても

嫁はんと子供に邪魔されっさかい

ここ来て、麻雀するだけが

年末の楽しみでんねん


って


雑で荒いおっさん達が

タバコでモクモクにしながら

ジャラジャラジャラジャラ

ジャラジャラジャラジャラ


リーチ

だの

ポン

だの


ツモっ!って叫んで


牌をカーンと

叩きつける音だの

させまくりながは



12時間くらい

麻雀をする。





小学生ん時は

おかんの手伝いをしてた。


ちなみに

兄貴はしない。


兄貴は跡取りの総領やから


家の雑事の全てから

免除されている。


親父と一緒やな^ ^



当時は


ちょっとは


おかんが可哀想って気持ちもあったけど


1割くらいか。


あとの9割は


このシステムはおかしい



腹を立ててたな。


せやから

早よ

家を出たかった。


叔母達は

1人になると


必ず

他の叔母の悪口を

俺に話してたし


おかんは

1年中

親父のいないところで


叔母の悪口を

俺に吹き込んでた。


叔母達は

集合すると

お互いの悪口ではなく


長男のだらしなさ

長男の嫁のできなさを


共同戦線を張って

ぶーぶー言う。


親父は

姉達には

銭も借りてることもあって


ひと言も言い返せない。


小4くらいになると


叔母達は

親父のことを

ものすごく可愛がってるんがわかった。


とても

気持ち悪かった。


そして


大晦日イブの

麻雀は続き


年末年始のドタバタは

やむことがない。


俺は

中学生になった頃には


年末はバイトで家にいなかった。


外の方がすごく気が楽♪( ´▽`)


大晦日の夜も

元日の朝も

遊び歩いてたから


何が起こってたか知らん。


高校になる頃には


麻雀仲間にも

死人が出たとかで

大晦日イブの麻雀大会はなくなった。


叔母も

ひとり死に

ふたり死に


叔母の旦那も死に


元旦の集まりもなくなった。



俺は

働き出して


家を出たから


何がどないなってたんか

知らん。



今でも


大晦日イブ

大晦日も


おかんが


狂ったように

ドタバタしてんのは


その後遺症やと思う。



可哀想とは思わん。


俺に


被害が及ばんように


ただただ


祈るだけである( ̄▽ ̄)