幼稚園の痛ましい事件を見て、再度命の大切さを再認識しました。

 

 

  ミスから学ぶことが大事

 

私は、今回の幼稚園の出来事を、個人や組織のミスとしてだけ捉えてしまっては行けないなと思っています。

 

責任を個人や個人の属する組織にだけ追求するのは、明確で簡単なことです。

 

しかしそれでは、いたちごっこで、いつまでもそのやりとりは終わらないと思います。

 

誰かがミスを犯したら、その人が悪い。と言って、その人の罪だけに注目する。

 

私達全員人間ですから、ミスは犯してしまうものです。

 

その前提の元で、全ての人は自分の選択に責任を持っていると思います。

 

もしも自分が、何か大変な目にあって、もちろんその人を責めたくなると思います。

 

でも、同時に自分も逆の立場になりかねないということもしっかり理解しておく必要があると思います。

 

単純に多くの人は人の命を相手にしていないだけで、普段からミスは誰にでもあるということです。

 

そして、私達は、そのミスや責任に対して注意を向けるだけではなく、命の大事さにもっと注意するべきで、どうしたら命をみんなで守れるのか、という社会全体で一つのミス(人間の不完全さが顕在化した部分)から学んでいく必要があると思います。

 

 

  命を普段から大切にする

 

まずは、自分の命が、常に死のリスクを少なからず持って普段の生活をしていることをまずは理解するべきで、その死のリスクを完全に排除することは不可能または、死のリスクをなくせば、ずっと家に閉じこもるようなつまらない一生になるということを理解する必要があります。

 

この考え方は無意識レベルで、普段の選択にあらわれています。

 

交通事故が起こるから、車を使わない人は少数派です。飛行機が落ちる可能性があるから、飛行機に乗らないのも少数派です。

 

医者がもしかしたら、間違えて大動脈にメスを入れて大量出血で死んでしまうかもしれないから、手術は医者に任せられないなんて言う人もいません。

 

自分ができない範囲はリスクがあっても、委託するしかない場合もあります。その時に、委託した先は自分のコントロールできる範囲ではないということです。

 

食品製造、エンタメパークのアトラクション、建築物、公共交通機関など生活のあらゆるところでこういった”命”の委託をしているのです。

 

だからこそ、普段の選択でより命のリスクをの低いものを選択するというマインドを持っておくことが大事だと思っています。

 

自分も自分の周りの人に対しても、常に命のリスクを自分から確認していける態度をとっていこうと思いました。

 

前のめりに生きていきます。