最近、女性とご飯に行きました。

 

自分は絶対に割り勘にすると決めていました

 

今回は、女性とご飯に行ったときに割り勘にする男子はダメなのかというテーマが自分の中で結構面白いのでその話について書きたいと思います。

 

数年前までなら、自分は先輩の影響もあって、女性とご飯に行ったら必ず全額払う男を貫いていました

理由を今考えてみると、お金に困ってるわけでもないし、毎日女性とご飯に行くわけでもないから、全額払ったところで自分の生活は苦しくならないし、かっこいいところ見せて感謝されるならそれでいいと思っていました。

 

でも、最近思ったのです。

「男が女におごるのは当たり前」の考えは、むしろ女性を対等の立場においていないんじゃないかと

本当のジェンダー論は、女性を守ることではないのです。

女性を守るというのは、女性を弱い立場として考えていることの現れです。本質は、性別で物事を捉えることをやめようということだと思います。

 

もちろん、ほとんどの女性はおごってくれる男性に対して、「こいつは女性を弱い立場に見下しているからクソな男だ」とは思いません

 

だからこそ、「男は女におごる」の常識を変えていく努力は男女関係なくみんながする必要があると思います。

 

今まで、性別のせいで、社会で活躍する機会が少なかった女性に対して、性別に関係なく機会がもらえるようにして、(女性に特別な機会を与えるのではなく)男自信も自分が性別故にやってきたことを減らしお互いに気持ちよく暮らせるようにしていくというのが大事なのかもしれないと思いました。

 

そこで、今回女性にご飯に誘われたときに割り勘にしようと決めました。

もともとその女性はある節目の記念だからと誘ってくれたので、全額出そうとしていました。(コレ自体素晴らしいと思いますが。)

 

そこで、自分は「自分も半分出します」と言いました。ほぼ初めてだったので、「半分出します」という発言をする自分が少し恥ずかしかったです

 

そのときに、全額出すほうが楽だと気が付きました

 

全額出すことには、男性側が楽をしているという側面もあるんだということがわかりました。

  1. 相手にいい顔ができる
  2. 相手に「けち」と思われるリスクを下げられる
  3. 感謝されて気持ちよくなれる
  4. 自分が偉い人の気分を味わえる
  5. 半分しか払わない理由を説明する必要がなくなる
など、お金でめんどくさいことを解決しようとしてるという一面もあるんだなと気づきました。
 
そして、自分が女性に奢ることしか考えられないというのは、人からどう見られるかをかなり気にしていて、人の評価で自分の人生を生きてしまっていたんだなと気づきました

 

「割り勘男子だから友達がいない」、「割り勘男子は女の子に嫌われる」なんてことはないと思っています。

お金を払うこと以外でもいろいろ友達のため、彼女のためにできることはたくさんあります。

 

みんなから好かれていて、みんながその人のためにものをあげたいと思ったり、奢りたいって思う人もいますよね。

 

お金は自分で稼げるから、お金ではないものを受けたときのほうがもっと喜びを感じるという人だっているはずです。

 

自分の価値観を再確認したので、自分の人生を生きるため&女性を弱いものとしてみないためにも、頑張って毎回女性とご飯に行くときは、割り勘を貫きたいと思います!

 

もちろん、いろんな考え方があるので、他の人にこの価値観を押し付けるつもりはありません。そして自分の考えもまた変わるかもしれません。

 

一つこういう考え方もあるんだくらいに思って読んでいただけたら嬉しいです。