なぜか”皇帝の名言”が日経に… その2 | フーリガン通信

なぜか”皇帝の名言”が日経に… その2

お待たせしましたさあ、“皇帝”ベッケンバウアーの名言の裏のお話を語らせてもらおう。

 1974年西ドイツW杯(当時はまだドイツは東西2つの国家に分裂していた)。この大会の話題を独占したのは貴公子ヨハン・クライフを中心としたオランダ代表の“オレンジ旋風”だった。大会直前から指揮を執った名将リヌス・ミヘルスの下、彼の指導で1971年から73年まで欧州チャンピオンズ・カップを3連覇したアヤックス・アムステルダムを母体としたチームがピッチ上に描いたのは、それまで誰も見たことのない「未来のフットボール」。GKまでも含め従来のポジションの概念を覆す“ローテーション・アタック”、後に現代のプレッシングに継承される“ボール狩り”、ボールを奪うことなく相手の攻撃権を奪う“オフサイド・トラップ”・・・「トータル・フットボール」と称されたその革命的なサッカーは、大会3日目の登場から世界中の目をくぎ付けにした。

 観客以上に驚いたのは対戦相手であろう。技術・体力・戦術理解に優れたオレンジ軍団がピッチの上に意図的に生み出す“規律あるカオス(混沌)”は並み居る強豪を恐怖に陥れた。CFのクライフが最後尾から攻撃を組み立て、SBのビム・シュルビアがサイドを駆け上がりセンタリングを上げ、リべロのクロルが最前線で強シュートを放つ。若いFWヨニー・レップやMFヨハン・ニースケンスが次々と放つシュートはまるで練習のようで、精度は低いが思い切りがよい。やっとの思いでボールを奪ってもすぐに大男達に囲まれ、前線に出したボールはオフサイド。抜けたと思ったスルーパスも“ペナルティ・エリア外”が定位置のGKヤン・ヨングブルートが“足”で見事に捌く・・・今なら見慣れた光景も、当時はすべてが初めての体験であった。
 オランダ代表は、ウルグアイ、スウェーデン、ブルガリアとの1次リーグはスウェーデンには引き分けるも2勝1分6得点1失点(オウンゴール)の首位通過、2次リーグでその勢いは増しアルゼンチンに4-0、東ドイツに2-0、そして前大会王者ブラジルを2-0で粉砕し、日に日に高まる熱狂とともに決勝に駒を進めた。

 一方の西ドイツは、1966年イングランド大会準優勝、1970年メキシコ大会3位、地元で開催される1974年大会での優勝は悲願だった。そして2年前の1972年欧州選手権(現在のEURO)では、皇帝ベッケンバウアー、“爆撃機”ゲルト・ミュラーに、40~50m級のロングパスを次々に通し攻撃陣を自在に操った天才MFギュンター・ネッツアーを加え、今もドイツ史上最強と言われる圧倒的な攻撃力で優勝を飾り、国民の優勝への期待も高まる一方であった。

 しかし、本大会を前に西ドイツは苦悩していた。1973年にボルシアMGからスペインのレアル・マドリードに移籍したネッツアーはその後代表戦への参加が減り、自身のコンディションも落とし、シェーン監督は大会直前まで司令塔をネッツアーにするか“左足の芸術家”ウォルフガング・オベラートにするか結論が出せずにいた。ピッチの外でも大会のボーナス闘争で選手とドイツ協会は対立するなど、政治的な問題も抱えていた。

 そんな状態でスタートした大会、地元の利がありながら1次リーグから苦戦が続いた。弱いとみられていたチリ、オーストラリアに連勝し2次リーグへの進出こそ決めたが、その内容は期待を裏切るもので、続く第3戦、負けてはならない東西ドイツ“宿命の対決”を0-1で落とす。
 ゲーム後に“影の監督”ベッケンバウアーの “檄”が飛んだ。闘わない選手を名指しで激しく非難したという。しかし、チームはここで初めて一つの“闘う集団”に変わった。一部のメンバーを入れ替えて臨んだ2次リーグではユーゴスラビアに2-0、スウェーデンに4-2、ポーランドに2-1と苦しみながらも勝利をつなげ本当に泥臭く決勝にたどり着く。(ドイツのピッチは雨の影響で確かに泥んこだった。)

 しかし、クライフを軸にした派手で先進的なオランダ代表に比べ、ネッツアーを欠く西ドイツ代表はポジションン毎に配したスペシャリストの能力に依存し、後方から“リベロ”ベッケンバウアーが統率するという地味な従来型サッカー。2次リーグでのミュラーの異能復活(3ゲームで2得点3アシスト)という要因はあったが、進撃を支えたものは地元の声援と不屈の“ゲルマン魂”であった。当然のことながら、ドイツ人以外のサッカーファンの多くはオランダの優勝を確信していた。仕方がない。ドイツの地の利を考えても、オランダ代表はそれだけ破壊的だった。

 そして迎えた7月7日、決勝戦の会場はベッケンバウアーが所属するバイエルン・ミュンヘンのホーム、ミュンヘン・オリンピックスタジアム。いよいよ後世に語り継がれる西ドイツとオランダの決勝戦が始まる・・・

冒頭で「お待たせしました。」と言っておきながら、続きはまた次回へ。
そう、“皇帝の名言”はそう簡単に生まれない。

魂のフーリガン