おのしんじのいるところ | フーリガン通信

おのしんじのいるところ

「やりがいがある。30歳、男はこれからだというところを見せられたら」


ブンデスリーガ・ボーフムから清水に移籍した小野伸二が、昨日22日に記者会見で語った。


18歳・高校生でフランスW杯に出場した「天才」。ピッチの上でも普段でも、カメラの前では常に「楽しさ」を表現してきた伸二の口から「男は・・・」という力強い言葉が発せられたことが、私には新鮮であり印象的であった。


オランダでプレーしている時、伸二は「最終的な居場所は、浦和レッズじゃないかな。」と語っていた。しかし、その通り浦和に帰った伸二の「居場所」にはポンテがいて、長谷部が育っていた。再び「居場所」を求めてドイツに旅立ったが、ハードでタフなブンデスリーガもまた、ケガがちな伸二の安住の地ではなかった。


では、そもそも伸二の「居場所」とはどこだろう。一般的には攻撃的MF、いわゆる「トップ下、実際に伸二はそのポジションにおかれることが多かった。


昔は良かった。最もうまい選手がトップ下で“10番”を背負って、その高い技術と戦術眼で活躍ができた。しかし、相手にしてみれば10番を抑えれば良い。相手DFはラインを上げ、狭くなった中盤でプレスが強まり、ゲームメーカーは激しいチャージに遭う。いわゆるコレクティブなFootballが主流になる中、主戦場となった中盤には、スピード・フィジカル・テクニックを兼ね備えた選手が置かれるようになり、たとえチームで一番巧くても、伸二のようなテクニシャンは次第にその棲息地を失っていった。


では何故、伸二はフィジカルが強いオランダで活躍できたのか。それは、フェイエノールトでの伸二は“激戦地”を離れたからである。そのポジションは「ボランチ」であった。


当時の監督ファン・マルワイクは、フィジカルは弱いがチームで最も技術が高く視野の広い伸二を生かすため、彼を相手からのプレッシャーが少ない場所に移した。それだけではない。伸二を守るために、その相棒としてフィジカルが強く伸二の代わりにハードワークを担うポール・ボスフェルトを置いた。そうして伸二は、後方からファン・ホーイドンク、ヨン・ダール・トマソン、ロビン・ファン・ペルシーといったフィジカルの強い攻撃陣を自在に操ったのである。


フェイエにおける伸二と同じようなケースとしては、ACミランとイタリア代表におけるピルロがあげられる。ピルロもまた番犬ガットゥーゾのハードワークに守られながら、後方から豪華な攻撃陣を操っている。


では、伸二の棲息地は「ボランチ」なのか・・・


ここまで語っておきながら、実は私は伸二のポジションは「どこでもいい」と思っている。なぜなら、間違いなくどんなチームにいても伸二は“誰よりも上手い”からである。一番上手い選手は、本人が一番好きなポジションをやればいい。


システムや戦術が進歩した現代のそんな無責任な監督はいないだろう。その通り。だから私の“天下の暴論”には一つの条件がつく。


それは、伸二がピッチに立つ以上、伸二のチームにしなければならない。監督も選手も、伸二を信頼しなければならない。誰よりも楽しくFootballを表現する伸二には、いつでも人の輪ができる。伸二に信頼が集まり、そこに人の輪ができれば、伸二は生き生きとプレーするだろう。


Footballとはチームプレーなのだ。伸二がいればチームができる。だから、伸二に必要なのは「自由と信頼」。それを与えれば伸二は輝く。伸二が輝けばチームが輝く。それが私の結論である。


「最後は浦和で」と言っていた伸二は、昨年には「最終的には清水でプレーしたい。」と言うようになった。

清水は少年団から高校までプレーした伸二の故郷。そこは伸二が最も周囲に信頼され、最も自由にプレーした場所である。


プレーヤーとして最後の場所・清水で、伸二の笑顔が見られる日を楽しみにしている。

今、私は心からそう思う。


魂のフーリガン