“ワシ流”の楽しみ | フーリガン通信

“ワシ流”の楽しみ

あのミスター・マリノス木村和司が古巣の横浜マリノスに監督として帰ってくると発表があったのは昨年12月のことである。


1986年に日本のプロサッカー選手登録制度「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」第1号なった木村。早すぎた国産プロ第1号は、1993年に開幕したJリーグではたった1年で引退した。そんな彼が監督として戻ってくる今年、Jリーグももう18年目を迎える。ずいぶんゆっくりしていたものだ。


今年イチローの背番号の年齢となる“魂のフーリガン”は木村と同世代。彼が広島県工時代から94年にマリノスを引退するまで、リアルタイムでずっと彼のプレーを見ることができた。

あの1985年、メキシコW杯最終予選の国立での韓国戦で、日本サッカーの“伝説”となったFKも、近いサイドのスタンドから見ていた。あの美しい放物線は絶対に忘れない・・・


1980年代の不遇の日本サッカー界でその存在感は絶大で、日本代表においては実に「頼もしい」プレイヤーだった。それと同時に、JFL(日本サッカーリーグ)においては日産自動車のエースであった木村は、当時は読売クラブ派(今の東京V)であった私にとっては実に「嫌な」プレイヤーでもあった。


味方にとって「頼もしく」、相手にとって「嫌らしい」。その理由はただ一つ。彼は抜群に「上手かった」のである。


木村を表現するときの「上手い」という言葉は深い意味を持つ。テクニックていうところの「上手さ」は当たり前、むしろそれ以上に、その戦術眼やイマジネーション豊かなプレーに「上手さ」を感じたものである。いわゆる「ボール扱いが上手い」という以上に、「サッカーが上手い」ということ。世に言う表現としては「名人」、「名手」、「職人」・・・そう、アマチュア時代の日本サッカーにおいて、確かに彼だけは「プロ」だった。


プロと言うのは、「上手い」だけではいけない。「上手い」だけでは自己満足。それよりも人々が金を払ってでも見たいプレーを披露しなければならない。そこに求めるのはやはり「楽しさ」。木村はピッチ上で自身がサッカーを楽しみ、そのサッカーで観る者を「楽しませる」ことができた。


そんな“和司”がやっと帰ってくる。彼がピッチにいた時代とは違い、現代は組織が重視され、より多く走るサッカーが主流になってきた。しかし、そんなサッカーは木村の好みではないだろう。大きな選手を相手に、「上手さ」を武器に、常に「楽しさ」を表現しながら戦い抜いてきた男である。そんな彼が監督を引き受ける以上、そのサッカーが楽しくないわけがない。


そんな期待に応えてくれる予感もある。木村は、12月の監督就任会見で、Jリーグ中位に低迷する選手たちにこう言った。


「下手くそ」


自分のことを「ワシ」という広島弁丸出しの口調は厳しいが、そのいたずらっぽい口元は昔のままだった。


魂のフーリガン