W杯招致活動の哀れ | フーリガン通信

W杯招致活動の哀れ

2018年または2022年に、日本は2度目のW杯開催を目指すのだと言う。


昨日14日、犬飼基昭日本サッカー協会会長を委員長とする日本招致委員会なるものが発足され、ゲーム会場として国内の12自治体、13スタジアム、キャンプ地としてもすでに最低条件の64候補が申請し、さらに増える見込みとのことである。


東京都による2016年オリンピックの招致活動の失敗は記憶に新しい。1964年以来の52年ぶりの大会ですら招致できなかったのに、2002年に開催したばかりのW杯を16年後、20年後に再び開催するという計画に莫大な金と労力が使われる・・・


そんなに金が使いたいのだろうか、そんなに何か活動をしないと気がすまないのか・・・このような国際感覚は私にはまったく理解できない。


招致争いに加わったのは以下の通り。過去2大会を開催した大陸からの開催はないと言うFIFAの原則があるため、アフリカ大陸、南米大陸は始めから手を挙げることができない。


【2018年・2022年】

日本、イングランド、ロシア、スペイン・ポルトガル共催、オランダ・ベルギー共催、アメリカ、オーストラリア


【2022年のみ】

韓国、カタール、インドネシア


初の開催を望んでの立候補に異議はない。世界中へのFootballの普及を目指す大会主催者・FIFAも歓迎するはずである。2度目の開催を目指すのは、66年大会のイングランド、82年大会のスペイン、94年大会のアメリカ、そして02年大会の日韓両国・・・


50年以上の時を越えての母国イングランド、初の開催となるポルトガルとの共催を目指すスペインは許されよう。しかし、歴史が浅く、世界Football界でのプレゼンスも弱いアメリカ、日韓の申請は、言ってみればその経済力のみを頼りに、大会開催の経済効果を狙ったマーケティング招致である。Footballの世界を知らないか、舐めているか、いずれにしてもFootball界の常識から見れば愚かな活動でしかない。


それでもFIFAは招致を歓迎するだろう。それは招致活動が激しければ激しいほど、社会でFootballのプレゼンスが高まり、結果としてFIFAの懐も潤うからだ。要するに、FIFAが最終的に決めるのは、どこで開催するかというとだけ。落選する国がどれだけ盛り上げに金を使おうが、労力を費やそうが、奴らはそんなことは知ったことではない。彼らはすべての立候補国にいい顔をするだけである。それを真に受けるのはバカがいけないのである。


スポーツには勝者と敗者が存在するが、名誉だけを求めて、その精神力・知力・体力・のすべてを賭けた戦いでは、たとえ敗者であっても美しい。しかし、権利と利益を求める事業や組織の争いにおいては、美しい敗者は存在しない。敗者に残されるものは、莫大な負債と厳しい非難でしかない。


2回目の大会開催が重要なのか、前回逃した「単独開催」に拘るのか、私としてはそんなことはどうでも良い。日本サッカーにとって必要なのは「強くなること」、それだけである。違うか?


「犬飼会長の犬死」・・・一人で勝手に死ぬのは結構だが、既に十分疲弊した日本を道連れにするのはシャレにならない。私はあなたの日本サッカーのリーダーとしての資格を疑う。


魂のフーリガン