遠藤保仁の時代 | フーリガン通信

遠藤保仁の時代

2010年最初のタイトルマッチ、元旦の第89回天皇杯決勝はガンバ大阪が名古屋グランパスを下して大会2連覇を果たした。


最後は4-1という結果であったが、終盤の名古屋の2失点はあまり意味を持たない。点を取るためにリスクを取った結果であり、ピクシーの判断は妥当だった。そこから2点を積み上げたガンバはしたたかだったが、内容は2-1が相応しい好ゲームだった。


試合を決めたガンバの2点目を決めたのは、2009年アジア最優秀選手の遠藤。開始6分には“らしい”右足インサイドで見事な先制点の基点となった遠藤であったが、この後半32分の場面では“らしくない”プレーから生まれた。


1-1のまま膠着した状態が続き、中盤が緩慢になっていた時間帯、味方が中央でボールを持つと、誰よりも早く前に動き出したのは、普段は中盤の底を住処とする青の7番。右前方に出されたスルーパスに見事なスプリントで追いつくと、絶妙なワンタッチでDFの裏を取り、さらにもう一人を置き去りにして中に切れ込むと、その“左足”でミドルシュート。狙い済ました低い弾道は、楢橋の伸ばした手の先を通過し右サイドネットに突き刺さった。


機を捉えた緩から急への切り替え、無駄のないコース取り、トップスピードの中での見事なコントロール、そして相手を視野に入れての冷静なフィニッシュ。久々にワールドクラスのプレーを見させてもらった。


中盤の底でシンプルにボールを散らすプレーに徹する遠藤には派手さはないが、そのプレースタイルゆえか、彼はボールを失わない。しかし、それは彼の巧みなフリーランニング、高い技術、広い視野、そしてイマジネーションが融合した結果である。


そのプレーの質とチームでの役割、存在感はバルセロナのシャビと似ている。個人のタイトルこそ僚友メッシに総取りされてが、地味な役回りにもかかわらず、すべての賞の最終候補に顔を出した。むしろクラブにおける重要度はメッシ以上だろう。現在世界中が絶賛するバルサの華麗なパスワークはメッシではなく、常に彼から始まっている。


遠藤とシャビ、アジアと欧州を代表するリンクマンは、ともに1999年のワールドユース選手権ナイジェリア大会の決勝のピッチに立っていた。(結果は4-0という大差でスペインが優勝)そして、それぞれの国で輝かしい将来が期待された選手たちの中で、現在もスペイン、日本の代表に君臨するのはシャビと遠藤だけである。


しかし、シャビはワールドユースの後もシドニー五輪銀メダル、日韓・ドイツW杯出場、ユーロ2008優勝と、代表でも輝かしいキャリアを築き上げてきたが、遠藤はシドニー五輪は本大会メンバーから外れ、やっと出場を果たしたドイツW杯でもフィールドプレーヤーの中で唯一人ピッチに立つことはなかった・・・


しかし、遠藤はそのプレー同様、淡々と階段を上ってきた。いつの間にか黄金世代のメンバーが消えて行く中、ついに代表の中心選手となった。彼が時代に追いついたのか、時代が彼を迎えたのかは分からない。しかし、とにかく人より若干遅くとも遠藤は自身のキャリアのピークに南アフリカW杯を迎えることになった。


せっかくの世界最高の舞台である。私は密かに日本代表がスペイン代表と対戦することを願っている。そしてその時は、遠藤はゲーム後にシャビと微笑みながらユニフォームを交換する。互いの11年間を称えて・・・


遠藤保仁、素晴らしい初夢をありがとう。


魂のフーリガン