誇り<打算  | フーリガン通信

誇り<打算 

ブンデスリーガ王者、ブォルフスブルクの大久保嘉人が神戸に戻ってくるらしい。うすうす予想はしていたが、一方でそうならないことを祈っていた私には悲しいニュースである。まだ、決まった訳ではないが・・・


嘉人の海外挑戦は、今回が2回目である。2004年のアテネ五輪で惨敗する中、3試合で2得点と1人気を吐いた男は、04-05シーズンにセレッソ大阪からリーガ・エスパニョーラのマジョルカにレンタル移籍で、念願の欧州進出を果たす。デビュー戦では切れの良いプレーで1得点1アシスト、怪我で消えたかと思えばシーズン終盤に復活しクラブのリーガ残留の立役者となった。


小柄ながらもスピードと技術を兼ね備え、積極果敢に相手に向かうそのスタイルは、以前バリャドリードで確率を重視してなかなかシュートを打とうとしなかった日本人FWのイメージを覆すものだったが、リーガの底辺をさまようチームでは、そこそこの日本人選手を完全移籍させる余裕もなく、結局05-06シーズンはレンタル移籍の延長。クラブも本人も泣かず飛ばずで、有名な「キャバクラ事件」のお客の1人としてジーコジャパンから外され、結局そのままドイツW杯出場も逃すことに。そしてシーズン終了後、失意の中でマジョルカからレンタル元のセレッソに戻った。


セレッソで1年戦った後に移籍した神戸で、嘉人は再び得点力を見せ始め、代表にも復帰を果たす。そして欧州08-09シーズンの“冬のマーケット”で以前より嘉人に目をつけていたというフェリックス・マガト監督の熱望を受け、今年1月にドイツのヴォルクスブルクに念願の“移籍”を果たしたのである。


自身の海外挑戦の失敗により前回のW杯出場を逃した嘉人にとっては、今回のヴォルクスブルク移籍にいたるまでには大きな葛藤があったに違いない。「行くっきゃないよ」と背中を押す“天使”と、「行ったらやばいよ」という“悪魔”の囁き。天使にも悪魔にもそれぞれの言い分があったからである。


天使の囁きは・・・

・海外でプレーするのが夢なんだろ。願ってもないチャンスじゃないか。

・しかも今回はレンタルじゃなくて最初から“完全移籍”。相手もマジ(本気)だぜ。

・あの名監督マガトが、再三直々に誘ってるんだから、試合にも絶対出られるって。

・スペインでは言葉で苦労したけど、今回はハセ(長谷部)がいるから何とかなるだろ。

・欧州じゃ26歳は若くないよ。こんなチャンスを逃したら二度と来ないかもよ。

・スペインの経験は失敗じゃない。学んだことを生かしてドイツで成功すればW杯もついてくる。


一方、悪魔の囁き・・・

・マガトは調子ええこと言うとるけど、でかいのや上手いのが揃ってるし、本当に出られるんかな。

・W杯出るために代表戦は絶対に帰るとして、移動時間と時差で、半端じゃなく疲れそうやな。

・それよりも代表戦でおらん間に、チームでポジション取られたらどないすんねん。ほならW杯もパアや。

・ハセはおっても、これからドイツ語勉強すんのもしんどいな~。あんた勉強苦手やろ~。

・子供も現地の幼稚園に通うのに苦労するで。生活、しんどいんとちゃうか。

・スペインで一回失敗しとるやんか。W杯出るために危険は侵さん方がええで。


いつまでたっても“やんちゃ坊主”のイメージが強い嘉人であるが、さすがにこの程度のことは考えていただろう。前回スペインでの挑戦で失敗しているだけに、むしろネガティブなイメージは痛みとして持っている。しかし、彼はその上でドイツ行きを決断した。つまり「リスクを取った」のである。私は彼のサッカー選手としての魂に、心の中で拍手を贈った。「そうだ。それでこそ嘉人だ!」


そして彼のブンデスリーガデビューは“衝撃的”だった。ウィンターブレーク明け初戦となるケルン戦、後半22分にピッチに立つや、そのわずか1分後のファーストタッチで惜しいシュートを放ち、その5分後にはグラフィッチの得点を導く初アシストを記録、その後もポストを叩くシュート・・・スタンドの観客は見慣れない小柄な選手の躍動にどよめき「こいつは何者だ!どこから来たんだ!」という声が上がったという。


スペイン時代と同様、スタートは素晴らしかった。しかし、リーガ下位のマジョルカに対し、ヴォルフスブルクは上位を争うチーム。やはり求められるのはプロとしての結果である。結果としてシーズン28ゴールのグラフィッチ、26ゴールのジェコという2大エースが君臨するチームでは、嘉人の出番が限られるのは仕方がない。限られた時間で結果が出せればよかったのだが、ブンデスリーガはそんなに甘くない。嘉人を連れて来たマガト監督もシーズン途中で来シーズンはクラブを離れることが決定した。それと関係するかどうかは不明であるが、嘉人はピッチサイドからも姿を消すことが多くなった。


嘉人の苦悩をよそに、快進撃を続けたクラブは最後に大きな歓喜に包まれた。クラブ史上初のブンデスリーガ優勝。クラブ2年目の同僚・長谷部はボランチ以外にも複数のポジションをこなし、クラブの快進撃を支えた。3月の膝の手術から短期間で復帰し、終盤には頭部に7針も縫う裂傷を負いながら奮闘した。優勝を決めた最終節もバンデージを頭に巻いて先発のピッチに立ち、最後は歓喜のサポーターに向かって、そして日本に向かって、誇らしげにマイスターシャーレを掲げた。一方の“助っ人”嘉人は、その瞬間にピッチにもいなかった。ベンチ外で失望のシーズンを終えた後に残ったもの・・・それは、リーグ出場6ゲーム、得点“0”という記録であった。


サッカーのみならず人生においても「れば・たら」の話はすべきではないのだろうが、あえて語らせてもらえれば、嘉人自身の運命は“衝撃的”と報道されたドイツ・デビュー戦で決まったように思う。あの強烈にポストを叩いたシュートがもし入っていれば、ウィンターブレーク後でサポーターの注目が最も高かったゲームで、嘉人はクラブに2-1の劇的な逆転勝利をもたらしていたはずなのだ。“驚き”の代わりに“歓喜”をもたらしていれば、彼はクラブにもサポーターにも“救世主”として認知され、その後の使われ方も愛され方も違っていたはずである。決して難しいシュートではなかった。力む必要はまったくなかった場面で、思い切り振りぬいた結果だけに、一層惜しまれる場面であった。確かに同じゲームで彼は勝ち点1を積み上げる貴重なアシストを記録したが、残念ながら欧州ではアシストという記録は存在しなかった・・・


話を冒頭に戻そう。ドイツで殆ど出場機会が得られない状況への不安から、W杯出場のために試合勘を重視した嘉人は、コンスタントにゲームに出場できる古巣・神戸への復帰を最優先に考えて移籍交渉しているという。そして、ヴィッセル側もサポータに愛される男の復帰と、守りのツネ様と攻めのヨシトの2枚看板の実現を、咽喉から手が出るほど欲している。相思相愛の移籍、金の問題さえ解決すれば障害はないだろう。


しかし、考えてみよう。前回のマジョルカでの“レンタル期限切れ”の帰国と今回のケースは異なる。ヴォルクスブルクからまだ「要らん」と言われたわけではなく、実際に契約期間は2011年6月まである。そして、今シーズンの活躍で主力選手の何人かは移籍すると思われ、来シーズンは欧州CLに参戦するためにゲーム数は増える。つまり嘉人が出場するチャンスは増えるのである。そんな中での“弱気”・・・「そうじゃないだろ!!」・・・彼のチャレンジを素直に応援していえた私は、大いに異議を唱えたい。


嘉人よ。君は「リスクを取って」ドイツに行ったのではなかったのか。こういう状態になることも覚悟の上で、飛び出したのではないのか。ほんの数ヶ月の挑戦で「行ってはみたけど、ゲームに出られないから帰る」・・・そんな甘い考えで海外で成功するはずはない。さらに、「神戸に戻ればゲームに出られてW杯に行ける」という発想自体が甘い。Jリーグを、日本のサッカーを冒涜している。そして、そんな目で「日本代表」を見ている選手が選ばれるなら、そんなレベルの選手がレギュラーとしてピッチに立つのなら、岡田監督も「世界で4位」等とは二度と語って欲しくない。


嘉人が望み、神戸が願い、そしてヴォルフスブルクも表面で残留を希望する態度をとれば、契約破棄の違約金約3億円に更に多くの移籍金が積み上がる。一見、関連する全てのステークホールダーが利益を得るかのような話ではあるが、その中で、実は1人だけ大損をする者がいる。それは、失敗から学ぶことなく安易な道に逃避し、その持ち味であった挑戦する“魂”を失った「大久保嘉人」、その本人である。「欧州でのプレー」と「W杯出場」を秤にかけての決断だとしても、私にはそれは「誇り」と「打算」という全く別の分銅の重さ比べにしか見えない。


嘉人の去就が正式に決まるのは、実際には6月末頃になるかも知れないという。売るなら高く売りたいヴォルフスブルクと、買うなら安く買いたい神戸の腹の探りあいのために時間が掛かる(を掛ける)のである。出来ることならその間に、私は嘉人の「魂の復活」を願う。昨年末、移籍を決めた時のメンタルに。ヴォルフスブルクでの活躍の結果としてのW杯出場という目標。まだ26歳のプレーヤーとして、チャレンジして決して損はないはずである。


まだ心のどこかに、その道を選ぶ“魂”が存在しているはずだ。私の知っている「大久保嘉人」であれば・・・


魂のフーリガン