ベルギービールの味 | フーリガン通信

ベルギービールの味

早いものでキリンカップも開催30周年だという。日本サッカーがアマチュアで、しかも滅茶苦茶弱かった頃に始まったこのキリンカップは、当初は代表チーム相手ではなく、クラブチームの招待であり、当時「全日本」と呼ばれたアマチュアの日本代表は、毎回と言って良いほど外国のプロ選手を相手に苦汁を飲まされた。


そんな、当時はW杯はおろか、オリンピックにも出場することができなかった日本が、今は4大会連続でオリンピックに出場し、さらに4大会連続のW杯出場にもまさに手が届こうとしている。第1回大会ではボルシアMGのデンマーク人FWアラン・シモンセンのプレーが興味の対象であった私も、30年後の今は、日本の“勝ち方”にまで拘るようになった。


改めて思えば、30年という時間は、今50歳の私の人生の6割に当たる長さである。ゲーム毎に行われるスポンサーから勝者への飲料プレゼントセレモニーは相も変わらず醜悪の極みであるが、「慈善事業」から始まったといっても過言ではない、キリンの日本サッカーに対する超長期的な「社会貢献」には、いくら頭を下げても足りないくらい感謝している。でも私は「ラガー」や「一番絞り」よりは、「スーパードライ」や「黒生」の方が好きなので、肝心のキリンのマーケティング活動の効果のほどは不明である。


さて、キリンへの感謝はともかく、日本サッカーがこのスポンサーの協賛金を生かすも殺すも、それは日本サッカー協会がどんなマッチメイキングをするかに掛かっている。今大会はチリに4-0、ベルギーに4-0、合計8得点、無失点は長い歴史で最高の成績で、“決定力不足”という霧が一瞬晴れてW杯への視界が良好になったと多くのサポーターは感じたことだろう。本当にそうなのだろうか。


私が見たところ初戦のチリとは点差ほどの力の差はなかった。しかし、昔感じた南米相手の無力感はなく、むしろ目新しいメンバーの躍動に爽快感すら感じた好ゲームであった。実力がそんなに違わないと思えわれる相手に対し4-0という結果を出して見せたことも大いに評価できる。


しかし、ベルギー戦はどうであったか?現在のベストメンバーと思われる選手を並べ、仮想ウズベキスタンといわれた欧州の古豪相手に前半2点、後半2点の4-0。しかも得点はいずれも流れの中からである。結果だけ見れば満足すべきなのだろうが、問題はベルギーが仮想ウズベキスタンとして評価できるだろうか?


答えはNO。ベルギーにしてみればシーズンを終えたばかりで疲れが蓄積している上に、欧州からの長距離移動に時差もある。更にキリンカップの招待チームが常に抱える“ハンディキャップ”である「中1日」でのゲーム!欧州のW杯予選でもグループ4位で選手の代表チームに対するモチベーションも低い。そんなベルギーのフィジカルとメンタルのコンディションの悪さは開始早々からミエミエだった。


なのに日本代表は点が取れない。もっともしっかり守らないばかりか、攻撃する気も見せないベルギーなので、見ている側にも緊張感はゼロ。そして程なくノープレッシャーの中で長友と憲剛のシュートが入る。いずれも綺麗な得点で手元のビールも進むのだが、どうも今宵のベルギービールは温すぎた。


ハーフタイムにはどうやら岡田監督の檄があったようで、交代メンバーのモチベーションもあり後半少しは美味しくなったが、やはりすでに優勝賞金の望みのなくなったベルギーは、相変わらず「攻めない、守らない、走らない」の三無主義。後半の2得点も綺麗な展開ではあったが、真剣勝負ではあんな「ご馳走」はまず出てこない。たとえアジア相手でも。


結果的に4点も見ることが出来たのだから、普段は代表の決定力不足でイライラしてきたサポーターにしてみれば、大いに楽しめただろう。スポンサーが期待するイベント性、娯楽性、話題性は十分で、興行的には大成功と言えるのだろう。しかし、それはあくまでも“ショー”としての話。日本サッカーとして一番重要な、日本代表のW杯準備試合としての目的は果たせなかった。私はそう思うのである。


ゲーム後の会見で、岡田監督はキリンカップでの結果について「ウズベキスタン戦では何も保証してくれるものではない」とマスコミに対し冷静な談話を披露した。実際に手応えのない相手と戦った選手達もこの結果に浮かれる程バカではないだろう。しかし、周囲にはバカが沢山いる。


守らない相手だからこそ通用した憲剛のトップ下起用に大きな希望を見出す評論家、つまらない内容だからこそ発生したスタンドのウェーブに喜ぶアナウンサー、そして、何の意味もない「W杯最速出場決定」を騒ぎ立てるマスコミ・・・こんな二流国が集まってササッと3試合するだけの冠大会で、よくここまで騒げるものである。恐らくチリの選手もベルギーの選手も、たかが“親善試合”で、スタジアム一杯の観客が入ること自体が信じられなかったのではないだろうか。


賢明な読者の皆様はそうではないだろう。思い出して欲しい。2000年6月にモロッコでのハッサンⅡ世杯で、フランス2-2でPK戦にまで追い詰め大騒ぎされたトルシエジャパンは、翌年3月にサンドニで同じフランスに0-5という惨敗を喫している。2005年6月のコンフェデ杯でブラジルに2-2、加地の“幻のゴール”があれば勝っていたと騒がれたジーコジャパンも、2006年のドイツW杯では不調のロナウジーニョにまで弄ばれての1-4の惨敗。そういえば、ドイツW杯直前のドイツとの準備時試合でもも2-2と開催国を慌てさせ、国民の期待も最高潮に達した後はご存知の2敗1分。日本は世界で最初に出場を決めた大会から、最も早い段階で姿を消した。


そう、親善試合は親善試合。生きるか死ぬかの真剣勝負となるW杯予選や本大会とは全く異なるものなのである。フランス、ブラジル、ドイツとは違って、チリやベルギーに次の対戦で一蹴される心配はないだろうが、岡田監督の言うとおり、今後に向かって「その結果は何も保証するものではない」。多くの国民がそのことを理解していないことこそが、サッカー後進国の証なのである。


成功から学ぶことは少ない。むしろ成功体験にしがみつく人は先に進むことが出来ない。しかし、失敗から学ぶことは実に多い。痛みを伴う失敗の反省があるからこそ、人間は次の1歩を踏み出すことができる。マスコミは小さな成功でも大きくして賛美しておきながら、同じ乾かぬ舌で次の失敗を非難する。「進歩が見られない」と。


進歩するためには「失敗」が必要だといっても、毎回毎回失敗して学んでいるわけにも行かない。だからこそ、私は“親善試合”を上手く活用して欲しいと思う。キリンカップはそのための良い機会だと思う。特に先のアジア杯に負けたためにコンフェデ杯に出られない日本にとっては、尚更その意味は大きかったのだ。「負けてもいい」親善試合だからこそ、日本より強いチームと対戦し、日本の力を試し、抱える問題を見つけて欲しかった。安心感より危機感が欲しかった。次に待っている「負けられない」真剣勝負で、失敗から得た学びを活かして勝つことができるように。W杯出場が決定する前ではあるが、「W杯で4位」という高い目標を真剣に目指しているのなら、尚更そうあるべきではないだろうか。勝ち癖をつけるlことも大事かも知れないが、弱いチームを相手に“勝ち”を得ても、そこには“価値”はないのである。


ビールはキーンと冷たくて、苦いから美味しいのだ。“キリンカップ”で飲んだ“ベルギービール”、カップも冷えていないし、中身のビールも気が抜けていた。少なくとも、私は「お代わり」は要らない。


魂のフーリガン