日本に足りないものは・・・ | フーリガン通信

日本に足りないものは・・・

たった今、南アW杯最終予選のオーストラリア戦を見終えた。


このゲームはW杯最終予選の天王山であったはずだ。3連勝・勝ち点9でグループ1位のオーストラリア、2勝1分・勝ち点7でグループ2位の日本。日本が勝てば日本は首位に立ち、W杯出場が見えてくる。負ければ一転、苦手バーレーンの影が実像となって迫ってくる。だから、マスコミや評論家はこの一戦の行方に、日本サッカーの未来を重ね、危機感を煽った。


しかし、結果は0-0の引き分け。ホームでの引き分けは「負けと同じ」であるはずであるが、2位でも予選を通過できる環境では歓喜も失望もなく、楽観も悲観もない。むしろ、ついこの前バーレーンに判を押したような負け方をした後だけに、「格上」のオーストラリア相手に勝ち点を1つ積み上げたことで、多くのサポーターはホッとしたというのが本音だろう。そして、戦前に存在した危機感はその行き場を失い、横浜の夜空に紛れてしまった。


この安堵感の裏には「オーストラリア=世界の強豪」というイメージがある。2006年W杯での敗北以来、日本人は我々はいつの間にか「格上」に位置づけている。確かに、ドイツW杯で日本に勝利した後にオーストラリアはブラジルと共にグループを通過し、決勝トーナメント1回戦で同大会の優勝国となったイタリアを追い詰めた。でも、だから、何なの?と私は言いたいのだ。


思い返してみよう。ドイツで敗れたあの日まで、日本はオーストラリアを「グループリーグで唯一まともに戦って勝てる相手」と見ていた。つまり見下していたはずだ。それはそれまでの両国の対戦経験から「強くない」と判断していたからである。では、実際のオーストラリアは強かったか?私はまったく強いとは思わなかった。日本がゲームのほとんどの時間を支配していた。日本が敗れたのは日本が決めるべき時に決めることができずに、最後の10分間までオーストラリアを「生かして」しまったから・・・そして、「勝てたゲーム」を落とした。違うだろうか?


その後も、日本はオシム監督の下、PK戦ではあったがアジア杯でオーストラリアを破った。あの時もオーストラリアを強いとは思わなかった。アジアではトップグループではあっても、決して世界の「強豪」ではないのである。


W杯で日本を破ったことから、日本ではオーストラリアは「強豪国」になった。ケーヒル、ブレシアーノ、ケネディは「スタープレイヤー」となった。断言しよう。それらはすべて日本だけの解釈であり、誤解である。その誤解が生まれる理由は、日本が「本当の世界」を知らないからに他ならない。オーストラリアとの戦いで「世界との距離」が判る・・・。私はオーストラリアは怖くないが、日本人のそんな主観的で愚かな思考が怖い。オーストラリアには悪いが、こんな相手にてこずっているようでは「世界を驚かす」ことにはできないのだから。


オーストラリア戦で終了のホイッスルが鳴った後に、黄い男たちのガッツポーズを見ながら、私の魂は教えてくれた。俺たち日本人に必要なのはプライドなのだ・・・と。


魂のフーリガン