マンUに見る世界との距離 | フーリガン通信

マンUに見る世界との距離

2008年が終わった。クローズドのメルマガからオープンなブログに形を変えたフーリガン通信であったが、従来どおりダラダラと毎回長文を書き綴ってしまい、ブログのような軽やかさはとうとう表現できずに終わってしまった。2009年はクリスチアーノ・ロナウドのような素早いステップを目指したいが、個人的にはリケルメのようなまったりとしたボール・キープも捨てがたい。いずれにしてもよろしくお付き合い願いたい。


過ぎてしまった2008年に1つだけ語り残したことがある。クラブW杯のマンUについてである。


ガンバとの12月18日、ガンバとの準決勝。5-3という結果について、大方のメディアはマンUから3点を取ったガンバの健闘を称えた。最後まで萎えることなく攻撃したガンバは評価できるが、あの戦いがガンバの善戦だったろうか?ガンバの強さをアピールできたのだろうか?私は逆の評価である。マンUの強さしか頭に残らない、そんな試合であった。


W杯の直前に、参加国同士が準備のための親善試合を組む。マンUにとってガンバ戦は南米代表との決勝戦のための準備試合であり、開催国日本のクラブとの親善試合でしかなかった。“勝つ”という条件さえ満たせば、あとは時差を解消し、コンディションを整え、怪我をせずに観客を楽しませれば良かったのである。


確かにガンバは攻めた。それは認めるが、ガンバの目的は勝つことではなかった。マンU相手にどこまでできるかを試すことだった。はじめからマンUに勝てるとは思っていなかったからこそ、思い切って攻めたのだ。しかし、現実は厳しい。攻めても点は取れず、一方のマンUはCKから簡単に2点を奪い、前半で勝利を決めた。後は後半途中から選手を交代させるだけ。先発選手を疲れさせないように、そして若手に経験を積ませるために。それが後半23分スコールズ→フレッチャー、25分ビディッチ→エバンズ、29分テベス→ルーニーといった、戦術的に全く意味を持たない同じ役割の選手交代に表れている。


30分の山崎の得点は、ゲームを流していたマンUの隙をついたものだった。しかし、ここでマンUのスイッチが入った。スイッチとは要するにゲームを早く終わらせるということである。30分ルーニー、33分フレッチャー、34分ルーニー・・・マンUはガンバクラスが相手なら、いつでもゲームを終わらせることができるということをいとも簡単に証明して見せた。40分の遠藤のPKはセンタリングが完全にコースを消したネビルの手に当たっただけであり、45分の橋本の点はマンUにとってゲームがとっくに終わった後の出来事で、このゴールで悔しい思いをしたのは失点でゲームを終えることになったファンデルサールひとりだけだったはずである。


マンUのガンバ戦への意図はスターティング・メンバーにも見て取れた。ネビル、スコールズ、ギグスといった30代半ばのベテランの先発である。長い間マンUの顔であり、トヨタカップで“世界一”を経験している彼らにとって、クラブW杯の決勝は果たすべき目標ではない。ターンオーバー制が敷かれているため、彼らの後継者は既にクラブ内に揃っている。決勝は彼らに任せ、ガンバ戦は既に名声が確立した選手の顔を並べておけば興行的に問題はないのだ。ロナウドが先発しただろって?誰もが見たがる現在のマンUの顔、ロナウドはマンUのマーケティング上メンバーから外すことはできないだけである。


そして12月21日、リガ・デ・キトとの決勝のスタメンには、ラファエル、キャリック、パク・チソン、ルーニーといった、これからのマンUを支えてゆく選手たちが新たに並んだ。著名な選手はいなくてもフットボールが何かを熟知した南米の代表を相手にして、マンUは初めて本気モードに入ったのである。前半から攻めまくった姿、あれがマンUの姿なのである。いや、本気は最初だけだっただろう。プレミアでもあんなに一方的なゲームはない。マンUは曲者のカウンターだけに注意して安心して攻めていたように見えた。失点を1つに抑えたのは南米王者の意地である。彼らは間違いなく本気で闘っていたからである。


そんなマンUは現在プレミアリーグ3位。彼らが普段どういうレベルで闘っているかが判る。決勝の後選手たちのコメントには、12月26日のリーグ戦を見据えての発言も見られた。決勝のゴール後の喜びですら、リーグ戦でのゴールに見せる鬼気迫る歓喜にはるかに及ばななかったと感じたのは私だけだっただろうか。残念ながらマンUのクラブW杯で優勝は、世界と日本との長く遠い距離を感じさせるだけのものだった。勝つことは判っていたのだから・・・


繰り返すが、ガンバ大阪の健闘は評価する。彼らは彼らができることを実行した。マンUとのゲーム後に、嬉々としてマンUの選手とユニフォームを交換し世界との距離を自ら認める光景を見せた彼らであったが、彼らはマンUとのゲームで自分たちの到達すべき点はもっと前にあることを感じてくれたようだ。3位決定戦で忍耐強く現実的なサッカーで内容よりも結果を出し、次回のクラブW杯につながるACLへの参加権を求めて、満身創痍の中で天皇杯決勝にたどり着いた。そう思うとFIFAが無理やり作ったクラブW杯の意義もある。そんな大会が日本を離れるのは残念でならない。


まあ良い。それでもfootballは続く。どこまでも着いて行こう。


魂のフーリガン