【浦和の裏は…終戦】 | フーリガン通信

【浦和の裏は…終戦】

今回の通信は独立した記事ではあるのだが、実はこの春に出した2通の通信の続編、結末という位置付けでもある。既にその頃から呼んでくれている読者の皆様は題名を見ただけで思い出してくれると思うが、最近の読者の皆様は、もしお時間があれば読んでもらいたい。いずれも結構長いから、お時間があればで結構である・・・


【浦和の裏は】2008年3月20日発刊

http://ameblo.jp/becks7whites/entry-10081391743.html


【浦和の裏は・・・追伸】2008年3月21日発刊

http://ameblo.jp/becks7whites/entry-10081622977.html


11月29日大阪は万博記念競技場、2008年J1リーグ第33節、昨年のアジアチャンピオンでクラブW杯“3位”の浦和レッズは今年のアジアチャンピオン・ガンバ大阪に1-0の“惨敗”を喫した。これにより、浦和は次週の最終節を待たずに、リーグ優勝と来期のACL出場の座を同時に失った。事実上の終戦、たとえ1-0であっても、“惨敗”と呼ぶべきであろう。


今期の浦和については、その開幕直後の監督交代劇から、私はこの日が来るのを予想していた。ゴタゴタがあったからではにない。オジェックの抱えた問題が監督と選手の間の亀裂であったから、そのゴタゴタを解決するには、ブッフバルト、オジェックの下でコーチを務め、選手を良く知っているエンゲルスは適任であっただろう。しかし、信頼やコミュニケーションだけで勝てるほどプロは甘くない。やはり戦いに勝つための哲学、理論が求められ、その哲学・理論を実践するためのカリスマ性やリーダーシップが必要なのである。


当然のことながら、過去にも監督経験のあるエンゲルスにも哲学や理論はあったと思う。しかし、浦和のサッカーに哲学や理論が見えたであろうか。浦和がやりたいサッカーが、我々に見えたであろうか。少なくとも私には見えなかった。西野のガンバ、ピクシーの名古屋、シャムスカの大分に見られた各々の監督のメッセージが。メッセージが伝わらなかったのは、エンゲルスのカリスマ性やリーダーシップの欠如にある。外国人にしては珍しい“調整型”のエンゲルスの弱みは、まさに彼自身のそのマネージメントスタイルにあったと思うのだ。


では何故エンゲルスのマネージメントスタイルが、浦和で結果が得られなかったのか?それは浦和レッズというクラブが持つ特異な環境にある。


熱烈なサポーターに支えられる浦和の観客動員はJリーグ随一。今期リーグこれまでのホーム平均入場者数47,236人は2位の新潟35,502人を大きく上回り、最下位の大宮10,714人の4.4倍にもなる(ローカルダービーの相手がこの数字というのも痛々しい・・・)。常にこのような多くのサポーターを従えて戦うことが出来る選手達は幸せであるが、その恵まれた環境が選手達にもたらしたのは勇気と元気だけだったであろうか。私はもう一つあったと思う。それは驕り(おごり)、いわゆる慢心である。オジェック更迭の理由には選手達との確執があったが、その際に彼らから噴出したオジェックに対する批判は、驕り以外のないものでもなかった。実際にピッチで敗れたのは彼ら自身であったのに・・・


選手だけではない。他クラブを圧倒するその入場料収入、ユニフォームを始めとした物品販売は、浦和というクラブにビジネスとして成功をもたらした。そして生まれた金を選手集めにつぎ込んだ。実際にこれまでに闘莉王、阿部、高原、梅崎、アレックス(復帰)といった代表クラスの選手を集め、国内では珍しい代表選手目白押しの“銀河系”のチーム作りをしてきた。確かにその投資により成績も上げ、更なる集客を生み、広告収入も増えるという好循環が生まれた。日本での成功はアジアに広がり、世界有数のクラブに成長しているかに見えた。しかし、優れた経営者が、開幕僅か2試合で更迭するような事業責任者(監督)を配置するだろうか。まだ優勝の可能性が残されている時点で、指揮官の退任を発表するようなことをするだろうか。稚拙な人事と危機管理能力の欠如。明らかに経営における最大のミスである。


圧倒的な人気は安定した収益を生み、経営を安定させてきた。しかし、その恵まれた経営環境が、浦和の持つ“負の部分”を隠していたのだ。その負の部分は経営陣、選手たちの未熟さなのである。しかし、何故こんな単純な事実に気が付かなかったのだろう。昨年のACL優勝以降の浦和の成績は驚くほど悲惨であったのに・・・


2007年のJ1、前年のJリーグ王者は順調に勝ち進み、一時はリーグ2位に勝ち点10もの差をつけた一人勝ち状態だった。そして、ACLで日本からアジアに覇権を拡大した王者はその後突如勝てなくなったが、それでもリーグ最終節を迎えた時点で2位鹿島に勝ち点1リードする首位の座にいた。その最終節の相手はこの年一早くJ2への降格を決めたダントツの最下位クラブ・横浜FC。その日横浜のホームに集まった同クラブの年間最多観客数のほとんどは、優勝を祝うために集まった浦和のサポーターであったが、彼らが見たものはまさかまさかの0-1の敗北であった。そしてリーグ王者の座には、最終節にしっかり勝ちを拾った試合巧者・鹿島が座ることになったのである。


本来ならこの時点で浦和のサポーターは黙っていなかったはずである。しかし、幸か不幸か、浦和はアジア王者として参加した12月のクラブW杯で、欧州王者ACミランに“見掛けの上”での善戦を見せ、最後は3・4位決定戦に勝利して“世界3位”を手にした。すでにJリーグタイトル、天皇杯も早々に失い、他にすがるものがない赤いサポーターたちは、この“虚飾の肩書き”に大いにその溜飲を下げたに違いない。そしてすでにバブルが弾けていた状況から目を背けるために、必要以上に「世界3位」というタイトルにすがったのだ。そう、アジア王者、世界3位というタイトルもまた、皮肉にも浦和の現状認識を見誤らせることになったのである。それはまた、応援スタイルだけ見れば世界基準に最も近いと思われた浦和のサポーターも、実は「世界の物差し」を知らなかったということを証明するものだった。


2008年11月26日の午前中、今期まだリーグ戦2試合を残し、逆転優勝の可能性も残した時点で、浦和レッズの藤口光紀社長はクラブハウスでゲルト・エンゲルス監督に対し今期限りの解任を通告した。選手とのコミュニケーションは改善したが、チームの成績は改善できなかった指揮官に対するクラブ経営者のその仕打ちは冷たいものだった。来期の後任監督の発表はなかったが、巷ではブンデスリーガ2部フライブルクの元監督、フォルカー・フィンケ氏の名前があたかも既定事実のように伝えられていた。既に来日し、フロントと共に浦和のゲームを観戦し、クラブ施設、サテライトの見学もするというあからさま行動をしていたから、発表こそなくても全て決まってのことと誰もが思った。


現任監督に何も告げないまま、後任監督を紹介するような行動。終盤で優勝を争っている最中で監督解任発表。どう考えても世界の常識から外れている。そして、さらに信じがたいことに、クラブからフィンケ氏への正式オファーが出されたのは第33節の後、つまり"終戦"後の30日であった。つまり、後任監督が決まる前に、現体制を投げ出したのだ。もちろん話は詰めているとは思うが、この通信発信時点で、まだ、同氏からの正式受諾の返事はない。それどころか、欧州ではスイスの名門クラブFCバーゼルの次期監督候補にフィンケ氏の名前が挙がっているという・・・


やはり、浦和の迷走の最大の理由は、経営者の迷走であったと断言しよう。ここまで脇の甘い経営者も珍しい。もっともその藤口社長も、浦和で過ごす日々はもう長くないだろう。だから来期の浦和は復活するか?それは期待できない。次の経営者もまた、三菱から出てくるアマチュアだろうから。


闘莉王が言う「ゼロからの出発」がどういうものになるのか。戦後の復興にどこまで期待ができるのか。まだまだ予断は許さない。


魂のフーリガン