ベッカムの笑顔 | フーリガン通信

ベッカムの笑顔

「虚飾の宴」がその幕を閉じた。この夜の「鳥の巣」の天空を晴天にするために、はたして周辺地域の積乱雲を刺激するための降雨ミサイルは何発打ち込まれたのだろうか。


開会式の派手さにも閉口したが、これほど華美な閉会式も見たことが無い。この国の人たちは、どうやら「強要された感動」に何ら価値が無いことにまったく気付いていないようだ。仕方がないのかもしれない。万里の長城、兵馬俑、天安門広場・・・そういえばこの国では、何でも大規模かつ盛大に行うことで、権力者達はその力を誇示してきたではないか。時代が変わり、環境が変わっても、民族の血は早々変るものではないということなのだろう。


いずれにしても、前回のアテネで一旦は原点に戻ったはずのスポーツの祭典も、資本主義でも社会主義でもない「利己主義」の国で行われた今大会で大きくその舵を切り、再び政治と商業によって濁った海原に漕ぎ出したようだ。この国が発明したという羅針盤。その性能は素晴らしいものだったのかも知れないが、舵を切るのは“人”であることを忘れてはならない。その“人”が、国家利益のためなら環境汚染など全く気にせず、平気で人を欺くことができる“人”であれば、自ずとその行く先も知れよう。


次回のオリンピック開催地はロンドン、“紳士の国”の良心を信じたい。しかし、ことFootballにおいては、英国は“United”ではない。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの協会がFIFAに登録されているため、国単位で争われるオリンピックに一つの国家代表チームは出せないはずだ。そんな事情がありながら、“英国の顔”として2階建てバスの上に「立たされた」ベッカムは、一体何を考えていたのだろう。私には、そんな彼の笑顔も“偽物”に見えた。間違いない。あんなに寂しげな彼の笑顔を、私は見たことはない。


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