少林寺に入門してまだ道着も届いていない時、

時代はK-1全盛期の格闘技ブーム。

人気TV番組「ガチンコファイトクラブ」の影響もあり、

若いヤンキーがこぞってボクシングなど格闘技や武道を始めた時代でもあった。

 

その波は少林寺にもやってきて、

僕が上下ジャージで副道院長指導のもと、

ヘタクソな振り子突きを練習してるすぐ隣で、

派手なバイクに乗ってやってきた3人組ヤンキーが見学。

やりにくー( ;∀;)

結局入門しなかったのは僕のヘタクソな振り子突きのせいかも...

 

僕にとっては初めての武道で初めての道場。

ここがスタンダードで僕の武道・道場の「常識」に。

 

先生は練習が始まる前に、控え室の長イスに

股割しながらお茶を飲んでるのがいつもの光景。

僕の中では「武道の先生はみんな股割ができる」って思ってた。

 

<イスは違うけど本当にこんな感じ>

 

僕には1ヶ月早く入門した兄弟子がいて、

当時兄弟子も白帯だった。

 

この兄弟子は運動神経の塊のような人で、その時から股割ができてたし、

覚えも抜群によかった。

当時うちの道場では、先生、兄弟子、空手出身の助教の3人が股割できる人だった。

その後県外で大学、道院といろいろ見たけど、少林寺で股割できる人にはその後会わなかった(;´∀`)

ってか体硬い人の方が多かったなー。

 

超絶運動音痴でさらにビビリの僕は、いつまでたっても技ができず、

恐らく当時「最短で黒帯になれる武道」の一つだった少林寺で、

まったく昇級ができなかった...

 

その間、兄弟子は3級、2級と順調に昇級していき、さらには

県大会の単演の部で2年連続最優秀賞、そして黒帯になり、

組演武でも県大会最優秀、全国大会へ出場などエリート街道まっしぐら。

 

結局僕は兄弟子が黒帯になってもまだ白帯のまま、

先生に「まだお前は試験は受けれない」と言われ、

約1年半白帯だった( ;∀;)

 

狭い道場にたくさんの人、僕の指導は主に助教。

この助教は大学空手部出身の和道流2段、少林寺4段の顔まで金剛力士像みたいな人。

今は20キロ痩せてとある町の町長に('ω')ノ仕事でもお世話になってます('ω')ノ

 

「まずは痛みで覚えろ」というスタイルで、道場に行って助教がいたら「げっ( ;∀;)」ってなってた。

 

胴(今の2枚胴じゃない1枚のやつ)の上から蹴られ壁まで飛ばされたりした。

※大げさでなく壁までの距離が短い&当時僕ガリガリ

 

運動音痴、ビビリに加えお調子者だった僕は当時道院長にめっちゃ怒られた...

おそらく道院史上一番怒られたんじゃないかな。

多分道院長僕の事嫌いだったと思う( ;∀;)

 

一番怖かったのは、上受け突きの稽古の時、

僕の手刀がへなちょこすぎたみたいで、

急遽ミットで手刀の稽古した時。

僕がミットを持って先生が見本を見してくれてる時、

つい冗談で「はいもっと強くー」って言ったら、

先生ブチギレで一瞬で僕のミット取り上げてそのミットでめっちゃしばかれた(T_T)

※素手だと危ないのでフカフカのミットにしたんだなきっと('ω')ノ

 

この話は今でも飲み会で鉄板(*‘ω‘ *)

 

先生に怒られる度、みんな「しーらねー」ってそっぽむくけど、

唯一道場の大家さんでもあるYさんだけは「まったくお前は」っていう顔で、

助け舟を出してくれてた。

 

そんなこんなで落ちこぼれな僕は高校卒業前にお情けで

道場で1級取らしてもらって道場から大学支部へと行きました。