一宮高校の監督に就任したのは4月16日。
始めたきっかけは覚えていませんが、わけもわからず始めたのを覚えています。
地元で甲子園を目指したいという事で高知県でスタートしました。
学校名は高知に実際にある所を使いたいという事で、一宮としました。
しかし、実際の高知県の一宮は「いっく」と読みますが、「いっくこうこう」は語呂が悪いという事で「いちのみや」と設定しています。

記念すべき初の練習試合は0-14の敗戦でした。
どんなシステムなのかもわからずに練習試合を行ったように記憶しています。

そして開始から2日目に早くも高知ジャスティスさんと対戦しています。
この当時、高知県の情勢は高知ジャスティスさんが一人だけレート2000オーバー。2位が1700台ぐらい。それぐらいの差がありました。
そんな学校といきなり練習試合を行なっていることに振り返りながらびっくりしました。

そしてこの頃にすでに現主将の橋本が1番を打っている事に驚きです。

とりあえず練習試合を行いながら夏の予選を目指していた5月〜6月。
5月には現エースの竹内が入部しました。
当時高知県では、UR投手は本当に少なかったです。希少価値の高い選手を獲得した事で、夏に向けてモチベーションが高まったのを覚えています。
しかし練習試合ではなかなか勝てない日々が続いていました。

そして迎えた7月。
ついに初の公式戦を迎えます。
夏の甲子園予選です。
7月当時の高知県は、高知ジャスティスさんが大本命、対抗馬として明星さん、山岡さんが挙げられていたと思いますが、その明星さんと3回戦で当たる組み合わせ。
また、周りの学校も強く、なかなかの激戦区に放り込まれました。

初戦の高知大付属高校さんに6-1で勝利し、2回戦はSTSR高校さん。
現在でも高知を代表する強豪校ですが、まさかのコールド勝ち。
少し調子に乗っていたと思います。

そして運命の明星高校さんとの試合。
この試合の為に竹内を温存し、前日から情報収集に努めました。
しかし結果は↓
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「弱者が強者に勝つ為には初回の攻撃が重要」

一宮はそう考えています。
その通りの展開となりましたが、最後は地力の差が出ました。

とにかくこの試合の負けが悔しかったですね。
試合中は仕事だったのですが、気になりすぎて仕事になりませんでした。
敗戦後、明星さんとの交流を持たせてもらうようになりました。
今でもライバルチームだと思っていますが、この試合がきっかけで苦手意識が付いて回っています。

また、この頃LOBIに登録しました。
全国の強豪の方々とお話をさせていただき、刺激をもらいました。

そして7月26日。
盟友京阪商業さんと初対戦。
初戦は一宮の敗戦でした。
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この試合の後に挨拶をしたことから交流が始まりました。
そしてお互いで高め合い、甲子園で対戦しようと約束を交わした事が今でも一宮の1番のモチベーションとなっています。

8月。
俺の甲子園初の夏の甲子園の開幕。
高知県の代表は高知ジャスティス高校。
しかしまさかの初戦敗退。
ジャスティスさんの試合当日、一宮はたまたま仕事が休みだった事もありずっと試合を見ていましたが、自分の事のように悔しかったのを覚えています。
そして、ジャスティスさんが敗退後最初の相手に指名してくれたのは嬉しかったですね。

そして8月19日。
ついにジャスティスさんから初勝利を挙げることが出来ました。
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この頃の一宮はただ打つだけのチームでした。
戦術などほとんど考えず、とにかく打つだけのチームを作ろうとしていました。
その結果、乱打戦での勝利となりました。

しかしこの試合の勝ちは嬉しかったですね。
寝ながら試合を見ていて、結果を見て起き上がったのを覚えています。

この頃ジャスティスさんと二人で目標にしていたのは、ジャスティスさんと一宮が揃って四国大会に出場する事。
その為に色んな情報を共有し、県内有力校の対策を共に練って行く事にしました。
もちろん、練習試合も定期的に行って頂きました。
当時の高知県はジャスティスさん、明星さんが第1グループ。
STSRさん、山岡さん、のあぽるてさんが第2グループに位置づけていたと思います。
一宮は第3グループと見ていました。

秋季大会まで残りわずか。
一宮はチームに少しの自信と大きな不安を抱えていました。


9月〜編に続く。