与太郎外伝 第一章 2
テルだ!秋だというのに、まだまだ日中は汗ばむ位の陽気もあり、気温の変化が激しいな!体調を崩さないようにしないとな!
光浩の外弁慶ぶりに益々の拍車を掛けることとなった要因の一つに、一人の少年との邂逅があった。
少年の名は、小野田芳雄。光浩と同じ幼稚園に通う同い年の悪童である。
芳雄の実家は、同じく大口で麻雀店を営んでおり、飲食店を経営する白井家とは、同じ町内に住む水商売同士として、家族ぐるみの交流があったのだ。
お互い良きパートナーに恵まれたコンビは、相乗効果により、そのポテンシャルも1+1が2ではなく、3にも4にもなると言われているが、悪ガキが二人揃った場合においても、その悪戯も同様に、三倍、四倍の規模を増して行く…。
それは、とある晩夏に起きた出来事だった。
光浩と芳雄はトンボを捕まえに、とある寺院の敷地内にある墓地へと来ていた。
トンボの動きは尋常ではなく速い。
まだ幼稚園児だった光浩と芳雄が、容易くに網に入れられるような敵ではない。
その頭上を旋回したか思えば、四方八方へと飛び散り、かと思えば、ブーメランのようにUターンしたりと、二人の幼子を燕のような早業で、翻弄するのだった。
しかし、流石にからかい疲れたのか、一匹のトンボが、目の前にある墓石に降り立ち、羽根を休め出したのだ。
ここぞと思った光浩は、トイメンの墓石の頂きによじ登り、目前にとまるトンボを目掛けて、思いっ切り、網を振りかざした。
だが、その刹那、光浩を乗せた墓石は、脆くも崩れ、トイメンの墓石をはじめ、並び立つ三つの墓石を将棋倒してしまう。
光浩は、この時の出来事を、まるで京の五条大橋で武蔵坊弁慶が足軽・牛若丸にいとも簡単にノックアウトされたのと同様の光景だったと、後に笑う。
幸いに、光浩は臀部を強く強打したものの、腕に掠り傷を負った程度で住んだが、その後寺院の住職に首根っこを掴まれ、父親の幸浩のもとに突き出される。
住職から事情を聞かされた幸浩は、怒髪天を衝く勢いで、光浩の頭を何発も殴り付けた。
幸浩のあまりの剣幕に怯え、泣き喚く光浩の姿を不憫に思った住職が、一旦は静止に入るものの、幸浩は尚も光浩を殴ることをやめなかった。
一体何発殴られたのだろう。
光浩が泣き疲れ、声も枯れて出なくなった頃、漸く幸浩は振り上げた拳を静かに降ろした。
武骨な幸浩が光浩に何か諭すようなことを言うことはなかった。
しかし、光浩は、この時、幼いながらに男子たるもの己の行動に責任を持たなくてはならないという、宿命のようなものを悟ったという。
つまり、幸浩から殴られた痛みは、自分が将棋倒ししてしまった墓石に宿る先人達の霊の痛みであり、それゆえ、自分が殴られてその痛みを知るのは、当然のことだと思ったのだ。
翌朝、光浩は、幸浩とともに、倒壊した墓石の前に立ち、手を合わせていた。
光浩自ら、幸浩に墓石の前で、それぞれのご先祖様に謝罪したいと申し出たためである。
このように、激情の赴くままに生きてきた光浩は、いつしか近隣住民から「悪魔の申し子」なるレッテルを貼られるようになる。
何か悪いことが起きれば、「白井さんのところの光浩くんが」といった案配だ。
そのため、周りの子供達の中には、都合の悪いことは、全て光浩のせいにしておけば、万事がオーケイという、邪なる考えを持つ者も少なからずいたという。
だが、光浩は、そうした周囲の目や扱いに臆することなく、更に悪ガキ道を邁進して行く。
幼い光浩にとって、森羅万象全てが好奇に満ちた冒険の対象そのものだったのだ。
さて、先週から第一章が始まったな!
楽しんでもらえテルよな!
では、どうぞ…
~・~・~・~・~・~・~・~・~
光浩の外弁慶ぶりに益々の拍車を掛けることとなった要因の一つに、一人の少年との邂逅があった。
少年の名は、小野田芳雄。光浩と同じ幼稚園に通う同い年の悪童である。
芳雄の実家は、同じく大口で麻雀店を営んでおり、飲食店を経営する白井家とは、同じ町内に住む水商売同士として、家族ぐるみの交流があったのだ。
お互い良きパートナーに恵まれたコンビは、相乗効果により、そのポテンシャルも1+1が2ではなく、3にも4にもなると言われているが、悪ガキが二人揃った場合においても、その悪戯も同様に、三倍、四倍の規模を増して行く…。
それは、とある晩夏に起きた出来事だった。
光浩と芳雄はトンボを捕まえに、とある寺院の敷地内にある墓地へと来ていた。
トンボの動きは尋常ではなく速い。
まだ幼稚園児だった光浩と芳雄が、容易くに網に入れられるような敵ではない。
その頭上を旋回したか思えば、四方八方へと飛び散り、かと思えば、ブーメランのようにUターンしたりと、二人の幼子を燕のような早業で、翻弄するのだった。
しかし、流石にからかい疲れたのか、一匹のトンボが、目の前にある墓石に降り立ち、羽根を休め出したのだ。
ここぞと思った光浩は、トイメンの墓石の頂きによじ登り、目前にとまるトンボを目掛けて、思いっ切り、網を振りかざした。
だが、その刹那、光浩を乗せた墓石は、脆くも崩れ、トイメンの墓石をはじめ、並び立つ三つの墓石を将棋倒してしまう。
光浩は、この時の出来事を、まるで京の五条大橋で武蔵坊弁慶が足軽・牛若丸にいとも簡単にノックアウトされたのと同様の光景だったと、後に笑う。
幸いに、光浩は臀部を強く強打したものの、腕に掠り傷を負った程度で住んだが、その後寺院の住職に首根っこを掴まれ、父親の幸浩のもとに突き出される。
住職から事情を聞かされた幸浩は、怒髪天を衝く勢いで、光浩の頭を何発も殴り付けた。
幸浩のあまりの剣幕に怯え、泣き喚く光浩の姿を不憫に思った住職が、一旦は静止に入るものの、幸浩は尚も光浩を殴ることをやめなかった。
一体何発殴られたのだろう。
光浩が泣き疲れ、声も枯れて出なくなった頃、漸く幸浩は振り上げた拳を静かに降ろした。
武骨な幸浩が光浩に何か諭すようなことを言うことはなかった。
しかし、光浩は、この時、幼いながらに男子たるもの己の行動に責任を持たなくてはならないという、宿命のようなものを悟ったという。
つまり、幸浩から殴られた痛みは、自分が将棋倒ししてしまった墓石に宿る先人達の霊の痛みであり、それゆえ、自分が殴られてその痛みを知るのは、当然のことだと思ったのだ。
翌朝、光浩は、幸浩とともに、倒壊した墓石の前に立ち、手を合わせていた。
光浩自ら、幸浩に墓石の前で、それぞれのご先祖様に謝罪したいと申し出たためである。
このように、激情の赴くままに生きてきた光浩は、いつしか近隣住民から「悪魔の申し子」なるレッテルを貼られるようになる。
何か悪いことが起きれば、「白井さんのところの光浩くんが」といった案配だ。
そのため、周りの子供達の中には、都合の悪いことは、全て光浩のせいにしておけば、万事がオーケイという、邪なる考えを持つ者も少なからずいたという。
だが、光浩は、そうした周囲の目や扱いに臆することなく、更に悪ガキ道を邁進して行く。
幼い光浩にとって、森羅万象全てが好奇に満ちた冒険の対象そのものだったのだ。
つづく…
この物語は、限りなくノンフィクションに近い、フィクションである。
著 名和 広